おおかみこどもの雨と雪
2024年12月15日
温子さんが、大好きな作品だとおススメしてくれた『おおかみこどもの雨と雪』をみた。
いつも思うけど、細田守さんの作品は、どんな人でも自分ごととして、或いは誰かのことを想って捉えられる描写が詰め込まれていて、みんながみんなそれぞれの人生や体験に想いを馳せることができるので、すごいなあと思う。
最初の方は、お母さん(花さん)がすごく温子さんみたいだあと思いながら見ていたんだけれど、途中から、あれ、僕じゃん、って思うようになった。
「世界は私の知らない事柄で満ちている。」
花さんが、おとさんのほんとうの姿を見た時に思った台詞。
誰かに伝えたいとも思わないし、伝えたくないわけじゃないけれど、伝えて、それをそのまんまに抱きしめて受け入れてくれる人なんていないって思うし、ほんとうのことは、この世界で私とあなたしか分からないから、それでいいって、これ以上のことはないって、いのちの底から思うんだ。こんなに、こんなに、言葉になんてできないほど、大切な、遥かに素敵な、宇宙みたいな、いのちがあるんだって、「感動」という言葉では表せられないほどの、大事なものに触れる瞬間、この世界の全てを超えていくような「愛」を覚えて、溢れて、生も死も全てを超えて、大切にしたい、しなきゃいけない、するのって。意思でも欲でもなくて、思考でも思想でもないし、感覚でも感動でもない。いのちがよろこんでる。いのちが生きている。って、遙かなる儚い永遠のよろこびのように。
そして、それは、貴方がいなくなったら、分かるのは私しかいなくなってしまうもの。そんなことは起こらないと思っていても、人は死んでしまう。証明なんてできないし、しようとも思わない。この世界で最も、確かなものだから。
この世界の片隅で、たった一人で、誰にも言えない大切なものを、そのまんまに大切にすることは、すごく難しいけれど、すごく寂しいけれど、とてつもなく、遥かに辛いけれど、辛くても笑って、笑って、生きてて、これ以上のことは無いって心の底から想えるんだ。だから、笑えるんだ。頑張って笑ってるんじゃなくて、いや、頑張って笑ってるんだけど、いのちの底からの、笑顔なんだ。
僕には、大切な人がいる。
いのちの片割れ。
大切な人が、そのまんまに生きられる環境を探して、僕は岡山に引っ越してきた。
他にもたくさん細かく言えば目的はあるけれど、その根底にあるほんとうのもくてきは、大切な人が、そのまんまに、自分のいのちを生きられる環境を探すこと、ただそれだけだった。これは実は、ほとんど誰にも言ったことがない話なんだけど。
土を触るのも、ぶどう農家の人と一緒に生きるのも、ぶどうを生業にするのも、ワインを作りたいのも、全部、たった一人のかけがえのない大切な人と、いのちを、ありのまんまに生きていくためだった。
でも、もうその人はいない。突然、大切な人は、亡くなってしまう。
大切ないのちの仲間だけを遺して。雨と雪のように。
僕で言うとそれは、ここで暮らすこと、ぶどうのこと、ワインの夢、吉や紅ちゃん、かいちゃんやこまちゃん、灯くん、全てのいのちたち、そして、どう生きるかってこと、いのちのよろこび、それそのもの、その全てが、貴方が遺してくれた大切なものだから、僕はそれをギュッと抱きしめて、生きている。これからも、生きていく。
大切なものを、そのまんまに大切にできる場所を探して、ここに引っ越してきて、周りのおじいちゃんや、ご近所さんから、厳しくいろんなことを教えてもらいながら、映画を見ながら、ああ。そうそう、。こんな感じだあって、すごく僕の毎日を見ている気分になった。
「なんでそんなに笑うんだ」
って、いっつも言われるし、周りから見たら、夢を持った青年、という風にしか映らないと思うから、僕が何を大切にして、守って、抱きしめて、生きているのかなんて、想像もできないから、それでも、周りで助けてくれる人たちがいて、みんなのおかげで生きられていて、こんなに、ありがたいことはないなって、毎日思う。
一度だけ、僕が救急車で運ばれてしまった時、その時だけは、周りにどう説明していいか、分からなかった。静かな田舎の山奥で、救急車のサイレンは隣の山々まで響き渡り、誰が運ばれたのかという噂は瞬く間に広がってしまう。
あんなにいつも笑顔で、楽しそうに明るく生きている貴方が、なぜ救急搬送されたのか、それを問われた時は、すごく難しかった。
大切なものを、大切にして生きていくことは、本当にすごく難しいことで、僕の場合、雨と雪もいない、たった一人で、大切にしなきゃいけない期間が、2年近く続いた。どんなに外では明るく振る舞えても、身体は悲鳴をあげた。死んだらいかん、死んだらいかんって、大切な人との約束、いのちを守るんだって、だからなんとか生きようとしたけど、重い発作が出て呼吸ができなくなると、自分ではコントロールできなくなった。
それでも、言葉になんてできないことを、「理解」なんてせずに、わかってもらうためには、ただ、そのまんま、ありのまんま生きていくしかなかった。立ち上がれない日が続くこともあったけど、なんとか、立ち上がって、大地に足をつけて、できることをやり続けて、生きてきた。
それでも、今年のはじめ、なんでこれほどまでにと思うほどの、その3年間を全て台無しにされてしまうようなことが起きた。絶望という言葉では語りきれないほどの、絶句、もうそうなると、人は笑っちゃう。死がすぐそこにあった。落ち着いていた重い発作もまた足音を鳴らした。その時は、これは本当にまずいって、今まで頼らなかった人にも、そばにいてもらった。
僕は、それでもいのちを捨てたりなんかしなかった。今もこうして、ほら、大切に抱きしめて生きている。どんな大災害が起こっても、いのちは逞しく、つがれてゆく。
なんのご縁か、今では、吉や紅ちゃんをはじめ、たくさんの家族がいて、身体の悲鳴も落ち着き、山の暮らしは少しずつ温かい風が吹くようになっている。
若い青年が、結婚もせず、彼女も作らず、たった一人で生きている姿に、近所ではいろんな噂が飛び交っているが、それも僕からしたら素敵な風のようなものに感じられる。もちろん外では、深く掘り下げられないために、そういった質問をされたら同調して場が楽しくなるように返すし、「いい相手がいればね〜」とか「いいご縁があればね〜」とかテキトーに言うけど、1mmもそんなこと思っていない笑。指輪のことを聞かれたら、「つけたら抜けなくなっちゃった」とか言ってテキトーに返してる。
いろんな経験を通して、人が大好きで、人懐っこかった僕も、人の目を見るのが怖くなり、距離が近すぎると怖くなり、思いっきり身体を委ねることも拒絶反応のように身体が苦手とするようになった。本能的に怖がるようになった。身体が怖がっても、本当は人が大好きで、みんなを抱きしめたいと思っているから、いっつも僕は戦っている。
一人ぼっちだと、やれることに限界は出てくるし、困ることもたくさんあるけれど、僕は全然ひとりぼっちじゃない。心にはいっつも大切な人がいて、あったかい気持ちで、いろんな風景やよろこびを一緒に味わいながら、生きている。子どもはほしいし、家族もいいなあってすっごく思うから、子どもを育てる方法を探したり、自分が一人な分、みんなの家族に、温もりを宿せるようなワインを作りたいな、っていう風にも思っている。家族や仲間の風景の片隅に、ポツンと置かれているような、そんな温かいことがあれば、それ以上のことはないなあ。きっと僕の作るワインは、なぜか知らないけど、一人ぼっちの味はしないはずだから。
温子さんが、この映画を好きなこと、だから僕は、ここまで本当のことをなぜか安心して綴ることができた。狼は嫌い?って言っても、きっと首を横に振ってくれるはずだから。
生きることは悪くない。
厄年も厄年で、苦しくて、しんどい1年間だったけど、苦しいことがある度に、「がんばってたら、いいことあるかな」って、空見て空も見れない時あったけど、呟きながら、生きてきた。
きっとあるよ。いっぱいあるよ。たくさんあるよ。きっとあるよ。
こんなにありがたい人生、言葉になんて、できやしない。
今日もアホ吉はあくびをして、紅ちゃんは遠吠えをしている。