憧れを生きない, 諦めない, 抱擁, 輝化.

2023年3月22日

 WBC優勝。最高。とてつもない感動に溢れた最高の大会だった。本当にすごい。

 2009年の3月。授業中に先生にみんなで頼み込んで、教室の隅に設置されていたものすごい古いテレビを付けてもらって、予選を観戦した記憶や、
 決勝の日韓戦は、インドに引っ越す直前で、家の家財は全て船便で送り、もう家にはアナログテレビしか残っていなかったため、それに仮設ケーブルを取り付けて、めっちゃ画質の悪いスノーノイズだらけのテレビで、あのイチローのタイムリーを画面の前に張り付いて見た記憶が、橙色の温かい気持ちと共に蘇る。

 純朴な野球少年にとって、あの瞬間は生涯忘れない。イチローのモノマネは本当によくしたものだ。彼の東京ドームでの引退試合、ライトからベンチに戻るのを見て、自分でも不思議なくらい涙が止まらなくなったのはつい昨日のことのよう。

 今大会は、メジャーの選手がたくさん参加していたからこそ、本当に面白かった。なんせ最後のトラウトと大谷の対決なんて、ちょっとこの世のこととは思えないほど、とんでもない瞬間だった。まさか茂野吾郎を超える奇跡が現実に起こるなんて、誰が想像し得ただろう。

 8回にダルビッシュが投げ、9回を大谷がしめる。データを駆使し、割と意味に拘っていくダルビッシュのスタイルが、ああいった場面で1失点をして、その全てを一瞬にして全の一部にして、全てを輝化させる大谷の最後の背中。スポーツではこういう場面が本当によくある。父性ともいふべき認識を遥かに超えた大きな背中が、全ての認識を遥かに根源的、永遠的に「大丈夫」にさせてほんものの輝きを放つ。彼が声をかけて人を集めて、彼がちゃんとその全ての「大丈夫」となって、そして、みんな輝いて、優勝した。

 僕はこういう瞬間が大好きだ。

 今日もまた父性が全てを抱擁し、輝化させ、解き放ったんだ。最高だ。最高だ。

 

 

 大谷さんが、決勝前の円陣で言った。

「伝えたいことは一つだけ。憧れを辞めましょう。野球をやっていれば誰しもが聞いたことのある選手がいる。でも憧れてしまっては超えられない。僕らはトップになるために来た。きょう一日だけは彼らへの憧れを捨てて、勝つことだけ考えていきましょう」

 ”憧れを生きない”の真髄がこんなところで出てくるとは思ってもいなかった。憧れの煌めきに吸い寄って行ってしまう人はたくさんいる。もちろんなんだって悪いことじゃない。でも自分のいのちを見失ってまで、憧れを生きたら、もうそれはあなたじゃなくていい。あなたが生きてるのか、誰があなたを生きてるのか、もう分からなくなる。気が付いた時には、大切な人がみんな自分のせいで死んでしまっている。いや、大概もうそういうことにも気が付かずに人生が終わっていく。

 ”憧れを生きない”で掴んだ世界一という夢。いのちのまんま輝く姿。

 煌めきに満ちた憧れに生きて、自分のいのちを見失ってしまったあなたに、この全が届くといいなと心の底から祈った。

 

 僕は、インドから日本に帰国し、中学校の野球部に入って暫くして、弱小野球部の中でさえ一番上手いとは言い難い自分と、クラブチームにいる同級生のあまりのポジションの差を目の当たりにして「自分はプロ野球選手にはきっとなれないんだろう」とどこかでハッキリと諦めた瞬間があった。

 だけど、高校に入って、一生懸命野球を頑張ってみて、自分の想像を遥かに超えて、上手くなれた瞬間が何度もあった。結果的には、満員の神宮球場を最も沸かせるプレーをできるほどにまでなった。

 今思えば、あの時、自分のポジションの認識や、周りの大好きな人たちが言うこと、自分を取り巻く環境を当たり前と知らぬ間に受け入れる前に、その勝手に自分の頭で作った枠組みのもっと外側を感じるいのちの豊かさを忘れていなかったら、僕はプロ野球選手にだってなれたんじゃないか。なんなら同世代がたくさん活躍している今日のWBCに、出場していることだって、最後の守備を僕が守っていることだってできたんじゃないかって、本気でそう思う。

 だけど、既に何かに取り囲われてしまった自分がそれをするには、僕個人一人じゃあなくて、誰かや何か周りからの「父性」ともいふような、つまり超越と輝化をもたらしてくれる存在が必要だったことも今ではよくわかる。

 今日、WBCの決勝を心に焼き付け、いてもたってもいられなくなって外に駆け出し、野球を始めた少年少女たちに、大きな大きな声で伝えたい。

 「いつか、自分の才能や立場の現実を知る時が来ても、それは思い込みだから、自分の可能性をいつまでもいつまでも、いつまでも諦めないでほしい。周りに諦めた人がいたのなら、認識や意味に共感するだけじゃなく、その人の可能性を諦めない存在になってあげてほしい。」

 君はどこへでもゆける。

 君はどこまででもゆける。

 自分の可能性を諦めてしまった僕の大切な人にも、届くことを祈って、僕は叫び続けたい。

「可能性を諦めないで。」

それが当たり前だと思わないで。知らぬ間に作っているあなたの認識世界のその先の、あなたのいのちの可能性を、諦めないで。諦めないで。

 認識や意味への共感は、相手の可能性を本当の意味で奪い取ることにも繋がるから。共感は決して悪いことじゃないけど、それで満足した気にならないで。

 僕は、あなたを、諦めない。

 参照:Twitter