ほんとうの大丈夫をもとめて
2023年1月19日
僕は一体何を大切にしているのだろうか。そんなことを考えていて、スッと来るのは、ほんとうの大丈夫の世界だった。大丈夫に限界はない。いつまでも、いつまでも探求し続けることができる。
人に意味を与え、「幸福」を与えることに限界を見出し、あらゆる認識的方向性から盲目を消していくと、大丈夫に諦めと儚さを感じる。けれど、大丈夫は儚いものだろうか。
大丈夫」って言葉がいいのかなんなのかは分からないけれど、語源から言うとなかなかしっくりくる。そこには父性と同義の全もある。そしてそこには必ず趣もある。
以前のブログをセキュリティの問題で閉じてから、文章はnoteに書き続けてきたが、やはり資本主義的な一つのプラットフォームにポーンって自分の遺書たりうる文章を放置しておくことがどうしてもしっくりこなかった。あちらはバックアップとして利用するくらいがちょうどいい。
勿論こうして自分でサーバー持っててもそれはまあ部屋を借りてるようなもので結局賃貸物件だ。それでも何か、そこには制度に頼らないインターネットのデジタルネイチャー感もある。
誰かに読んでもらいたい文章を書くことから完全に脱し、これからもそのつもりはない。遺書たりうる文章には魂が宿る。僕が描くのは常に風景だ。
デジタル変換も言語への圧縮も気に留めないほどの風景だ。
それは、君に見せたい風景だ。
これからここで文章を書いていく。いうたら大丈夫を追いかけるだけの日々に流れる風景を、映していきたい。描いていきたい。
時に、誰かに響けばいいな、と言う気持ちで文章を書いたりもするだろう。だがそれも含め、willとしての灯をここに儚く残そう。