「援助」の大きすぎる代償

「援助」の大きすぎる代償

ただいまアフリカ紀行の真っ最中で、ブログの連載が滞っています。久々の投稿をアフリカの地からしま~す。現在ケニアからウガンダに移りやっとwi-fi環境にありつきました。ケニアで感じたことを書きます。

「援助」の大きすぎる代償

世界には、無数の文化が存在し、それぞれに独自の価値観があり、それらは、はたまた個人間でも、違いがあります。その土地の環境、風土、歴史、貧富、その個人の生育環境、ありとあらゆるものがその独自性を作る要素となっています。

ケニアには、都市部をはじめとして、かなり外国資本が入ってきて、ビルも立ち並び、多くの人が想像するアフリカとは少し違う姿があります。

それでも、街中はゴミだらけで、臭いし、汚いし、一歩都心から離れると、豊かな自然と排気ガスが混ざり合う光景が広がります。

多くの人と交流して感じたことは沢山ありましたが、その中で一番強く感じたことを書きます。

巡り合う人巡り合う人、その全てが、「“くれる”のが当たり前」という考え方で生きているということです。

これは行く前から耳にしていたことではありましたが、実際に行ってみて、あまりにもみんながそうだったので、驚きました。

例えば・・・

・これちょうだいこれちょうだいとめっちゃ言う。もはや現金を金額指定してねだってくる道端の子供もいる。

・人のモノをこれは自分のモノだと言い出す子供たち。

・「ごめんなさい」をまじで言わない。

・人をめっちゃ待たせる。人を待たせても謝らないけど、人から待たされるとめっちゃ怒る。

・「政治が腐敗してるから仕方ない」ばかり言う。諦めてる。自分は何もしない。

こういったことは、良いか悪いかは別として、正直「残念」の一言であり、なんだかとてつもなく「悲しい」気持ちになりました。

先ほど言ったように、こういった価値観や考え方は、個人によって差異もあるし、ありとあらゆる要因が絡んでいることを理解したうえで、僕の考える大きな要因を書きます。

ケニアをはじめとするアフリカ諸国にはこれまでに莫大な金額が「援助」や「投資」と称して、世界中の先進国から注ぎ込まれてきました。ケニアの今の発展も、むろん正確には分からないですが、その9割近くが海外の援助によるものであって、自国民の努力と知恵で成し得たものは1割程度にすぎないのではないかと感じました。そんな歴史を見ても、どうしても僕には、彼らが「援助」をされすぎたせいで、「“くれる”が当たり前」という考え方が根付いてしまったのではないかと思わざるをえないのです。この悲しき思考の原因は、「援助」ではないかと僕は思うのです。

こういう意見があります。「日本も戦後たくさんの援助を受けて成長したじゃないか。だけど日本人はそんな考え方をしないじゃないか。」と。日本の戦後復興経済成長と、ケニアの経済成長の最も異なるところは、まさに、日本は9割が自国民の努力と知恵による発展で、1割が援助による発展だったということ。ケニアは真逆。9割が援助で、1割が自国民の努力と知恵。だから日本では「やってもらった」という感覚は全くなく、「自分らが頑張るから、他は自分らを信頼してくれて、お金を出してくれる」という、自分らの努力が前提の考え方が根付いたのではないでしょうか。

一方ケニアは、「自分らが、頑張らなくても、他が助けてくれる。」という考え方なのです。

僕はこれを一概に「ケニアが悪い」と言うことはできません。むしろ、ケニアは被害者だとも言えるくらいです。なぜかというと、「金」が絡んでいるからです。世界は「先進国」と「途上国」の二つに分かれてしまうほど、「金」のある場所とない場所が分かれてしまいました。次に起こったのは「先進国」の資源不足と、「途上国」の人口爆発です。そこに科学技術の発展による「グローバル化」という大きな要因が加わることで、「先進国」の人たちは、「途上国(アフリカ等)」にビジネス勝機を見出し始めました。長期的な成長を見越して、且つ今すぐに生まれる大きな利益に惹かれて、大量の「援助」と「投資」を「途上国(アフリカ等)」に始めました。人口が豊富で、低賃金でモノを生産できるといった状況や、将来的なビジネス宝庫としてとんでもない魅力に溢れていたのです。(今もそう。)

日本も「援助」と称して多額の税金をアフリカ支援に充ててきました。いわゆるODAというやつです。このODAによっていったいどれだけの人が救われたかは分かりません。とても大きな役割を果たし、多くの人々を助けたのは間違いありません。アフリカ最大のスラムと呼ばれるキベラスラムに行った時、青年が僕らを日本人だと知って、「JICAのJは日本だね!お金をたくさん出してくれてとても助けられてる。」と言ってきました。

だがしかし、こういった「援助」が、「“くれる”の当たり前化」に繋がったのです。

金を“くれる”人、苦しい生活を助けて“くれる”人に、「いや、僕らは僕らで頑張るからいらない。」などと言えるほど人間強くありません。

国際協力・社会問題解決において。「持ってるものから、持ってないものへ」というとても大事な考え方があります。僕もこの考え方は非常に大切だと思っています。では、こう言う人がいます。「アフリカ支援も投資も、“持ってるものから持ってないものへ“になってるからいいじゃないか!」と。はい、その通りです。僕が問題視してるのはそこじゃないのです。貰う側が、それを「当たり前」と思ってしまうことが、とんでもなく問題なのです。

「こちらが何もしなくても、“くれる”」と本当に思っているのです。

この考え方が良いか悪いかは別として、美しくない!と僕は思います。

人と人の関係において、一生懸命相手のことを思いやり、自分にできることをして、それでやっと、相手が自分に返してくれる、その相互作用がとても大切だと僕は信じています。

日本人でもたくさんの人が、アフリカに勝機を見てビジネスを開始し失敗しています。なぜなら現地の人たちに「自分からやる」という考え方があまりにも欠けているからです。“くれる”が当たり前だと思っているからです。これではなかなかうまく事業は回りませんし持続しません。

これまでにアフリカに注ぎ込まれたお金の総額は何百億、何千億、何兆、何百兆とも言われています。それでも状況が一向に変わっていかない大きな原因は、この「“くれる”が当たり前」という考え方ではないかと僕は思っています。

自分には関係ないと思うかもしれませんが、私たちの払っている税金が、こういう状況を作り出す要因のほんの一部になったことは紛れもない事実です。自分たちが払った税金で日本政府が「外交」のために行う莫大な「援助」が、多くの人を助け、その反対に「美しくない」世界を創りあげてきたこと、あなたはどう思いますか?

考えても何もならないけど、考えることが大切です。

私たちは同じ人間です。人と人です。

この先のアフリカにどんな希望を感じようか。

日本もアフリカも大して変わらん。

経済とは、金とは、そういうものだ。

あなたはいったい何がしたい。

わたしはいったい何がしたい。

思いやりはどこに行った?

一生懸命相手のために尽くす心はどうした。

君の夢は、一体なんだ。

どんな未来を望む?

望む未来を自分で作ろう。

なあ。

君の近くにはそんなにも美しいものがある。

望む未来は自分で作ろう。

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