やっと見つけた、「そこ」

やっと見つけた、「そこ」

今日は、とてお大切なお話です。長いけどゆっくり最後まで一生懸命読んでくれたら嬉しいです。

僕らは懸命に生きて世界を回す

この世界には、

お金とか、経済とか、

性別とか、立場とか、

容姿とか、

データとか、

目標とか、

最大多数の最大幸福とか、

家族とか、恋人とか、友達とか、

モノとか、コトとか、

いいとか、悪いとか、

機械とか、

啓蒙思想だとか、哲学だとか、道徳だとか、

健康だとか、ダイエットだとか、

能力だとか、

ファッションだとか、

建前とか、本音だとか、とか、とか、

キラキラと装飾されて光り輝いているものが、たくさんある。

これらのおかげで、世界は世界として、くるくる回っている。

僕らは、色んなことを考えて、感じ取って、生きている。

そんな中、今日も、

あるところで、ある人が、死んだ。

僕らは、いろんなことを感じ、考え、感じ、教えられ、教え、自分の中の信じるものを確立させていく。

一生懸命、生きていく。

そんな中、今日も、

あるところで、ある人が、死んだ。

僕らが、一生懸命、生きていても、

あるところで、ある人は、死んでいく。

やっと見つけるたった一つのそこ

きっとこれは、誰にでもあることだ。

「私には、何もできない。」と思う。

「私には、何もない。」と思う。

他人を責めなどしない。

ただただ、「私には、何も、ない。」と、「私は、なにもしてやれない。」と、「なにもない。」と、ただただ、ただただ、思う。

きっとこれはだれにでもあることだ。

そんな中でも、

ふっと、居場所を見つけることがある。

それは、道をトボトボ歩いているおばあちゃんを見つけて荷物を持ってあげた時かもしれないし、

シンクを掃除していてお母さんに褒められた時かもしれないし、

お茶を注いで美味しいと言ってもらえた時かもしれないし、

ピエロの格好で踊って子供たちを笑わせた時かもしれない。

家で、ゴキブリと戦って誰かをゴキブリから守った時かもしれないし、

人気テレビ番組に出て、誰かに褒められた時かもしれないし、

クラブで踊って褒められた時かもしれない。

テストで不正をして、友達の成績を助けた時かもしれないし、

万引きをして病気の兄弟を助けた時かもしれない。

特に、生まれてきて、いつでもなんだか居場所がなく、いつでもなんだか不安で、いつでも「何もない」ことに苦しんできた人は、このたった一つの、「瞬間(居場所)」との出会いに、大量の涙を流し、全てをそこに依存させることも、ある。

実は、みんなそうなのかもしれないが、このやっと見つけた、たった一つの居場所は、かけがえのない、かけがえのない、希望でしかない。愛でしかない。

これだけは、絶対に忘れないで、

さて、話を戻そう。

僕らはみんな、一生懸命、生きている。

人それぞれ、信じているものもある。

どんなに頑張ったって、間違えてしまうことは、絶対あるんだけど、それでも、僕はこれだけは気を付けていたいと、心の底から思う。

やっと見つけた、たった一つのかけがえのない居場所を、浅い考えで、奪ってはならない。

もう一度言う。

やっと見つけた、たった一つのかけがえのない居場所を、浅い考えで、奪ってはならない。

君には君の「信じているもの」があるだろうし、「正義」があるだろう。

でも、そんなもの、どうでもいい。

どうでもいい。

世界には、キラキラ装飾されたものや、誰かに教えられたことや、信じたいこと、いっぱい溢れてるけど、そんなものどうでもいい。

どうでもいいから、

これだけは忘れないでほしい。

やっと見つけた、たった一つのかけがえのない居場所を、奪われたら、人は、死ぬ。

お前の気分や正義や憂さ晴らしで、奪うな。奪うな。

もっと根底に、もっと単純で、もっと美しいものがあるんだよ。

それだけは、浅い考えで、奪っちゃだめだ。だめなんだ。

誰でも、誰でも、知らぬ間に、たくさんたくさん、この行為をしてしまうよ。どんなに気を付けても、僕だって、間違えてしまうこともあるだろう。

でも、忘れちゃだめだ。

忘れちゃだめだ。

忘れちゃだめだ。

忘れちゃだめだ。

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