自分に何ができるか。本質を伝える日誌。

自分に何ができるか。本質を伝える日誌。

ブログメディア『ナンのLIFE日誌』始めました。

「物事の本質」を探っていくメディア

世界中のこと、社会のこと、環境のこと、周りの人のこと、自分のこと、恋、お金、教育、生き方、考え方、等々、私たちの生きるこの世界では、まるで誰かが隠しているかのように、「見えないもの」がたくさんあります。

「見えないもの」の中には、「想像」の範囲を広げていけば見えてくるものもあれば、実際に自分の目で見て肌で感じないと見えてこないものもあります。また、その幅や範囲(自分の視野)も、その人の「想像力」や「感受性」や「行動力」などによって大きく変わってきます。

この日誌では、世の中のいろ~んなことについて、「物事の本質」により近いものを、記していきたいと思います。

「物事の本質」って何?

「物事の本質」とは、何かの事象に一つの「正解」があるという意味ではありません。この世界にはたった一つの「正解」や「正義」はありません。

(ただ数学などのサイエンスには「正解」と呼ばれるものが存在したりします。しかし、我々人類にとって、「数学」はただの「ツール」であり、「ゴール」にはなり得ません。サイエンスで示された「正解」は、私たちの選択を「証明」してくれるものでしかありません。)

私たちは、生物としてこの世界に生まれ、今、生きています。生きている間は、必ず何かを選択していかなければいけません。その選択時に、より自分が本当に納得できる道こそが、「物事の本質に近い」と言えるものなのかもしれません。言い方を変えてみると、「物事の本質」を見て何かを選択した時こそ、その人らしい「道」がそこに堂々と存在するようになるのではないか、ということです。

では、なぜそれを追い求める必要があるのでしょうか?ヒョロッヒョロのプレハブの血みどろ「道」を歩んではいけないのでしょうか?

なぜ「物事の本質」を見ることが大切なの?

世の中には、「考えることが得意な人」と「考えることが苦手な人」がいます。「考えること」はとても大切なことです。でも、正直、疲れます。「考えない」ってとっても「楽」ですよね。

考えないのが「楽」なら、考えなくてよくない?考えなくてもお金稼げるなら、ずっと面倒なことには関わらずに生きれるよね。楽しいじゃん。そう、まさに、「考えるがなぜ必要なのか」が分からなくなるのが、この世の中です。学校でも、「考える」が出来なくても、「覚える」ができたら成績をくれます。

しかし、例えば、テレビでニュースを見ている時に、そのニュースで報じられた内容だけがこの世界の全てだと思い込んでしまった瞬間に、見えなくなるものがあります。

メディアでは、この世界のほんの一部分の一側面しか報じることは出来ません。それは、我々一人一人も同じです。自分の経験や視野の範囲でしか、物事を語ることは出来ません。つまり我々一人一人が「メディア」と言うこともできるのです。

人々が「考える」を辞めた時、「戦争」や「いじめ」は起こる可能性が高くなります。メディアはプロパガンダとして機能し始めるのです。この世界からダイバーシティは消え失せ、異端者は抹殺され、「正」と「悪」が蔓延る世界が生まれます。

実際の社会では、そこまでのことは起こらずとも、「考える」を辞めた人間は知らない間に、何かを壊して、殺してしまう可能性が高くなります。

分かりやすくて身近な例を出すと、目の前の人に、特に深く考えずに言った一言が、その人を傷つけ、心を破壊してしまうかもれません。私も何度もこの経験をしてしまったことがあります。ちょっと考えれば、防げたこともあったかもしれません。しかし、考えない人の本当に怖いところは、「殺したことにさえも気が付かない」ということです。たくさんの人を殺して、自分は幸せそうな顔をして死んでいくのです。

SNSの登場で一人一人の「メディア」としてのパワーはより強くなりました。一人一人の影響力は時代と共に大きくなるばかりです。

実はこれは、全ての人に通じる話であり、まさに自分がしてきたことなのかもしれません。今この瞬間もどこかの何かを破壊してしまっているかもしれません。

ただ勘違いされたら困るのが、「色んなことを知って、色んなことを考えて、リスクをちゃんと認識して謹んで生きなさい。」ということを言いたいのではありません。「考える」を辞めたら、「物事の本質」からは遠く離れてしまう可能性が高いですよ、というだけの話です。そうすると、どんなに残酷なことが周りで起こっても、気が付くことすらできなくなってしまいますよ、という話です。そうなれば人を助ける力も、人を想う心も廃れてきてしまうかもしれませんよ、という話です。

あくまでも可能性の話だし、どう生きたいかは人それぞれです。自分の見てる世界だけがこの世界の全てだと信じて生きていきたい人もいるかもしれませんし、そこまで考えなくても、視野を広げなくても、「物事の本質」を見て(自分が本当に納得する「道」を)生きていけるという人もいるかもせれません。

それでも、人は一人で生きているわけではありませんし、ここまで世界中が繋がってしまった社会では、自分が作る「道」に関わる人の数も否応なしに増えています。(自分が食べるごはんを地球の裏側の人が作っていたりします。あなたの一食が、地球の裏側の人の人生に関わってくるのです。)そんな社会で生きている限り、「物事の本質」を見て(自分が納得する「道」を)生きていくには、どうしても「想像力」を広げて、考えて、視野を広げていくことが必要になってきてしまいます。

「物事の本質」を見るためには、空間的視野と時間的視野を永遠に広げ続けて、自在にポイントを置けるようになる必要があります。言い方を変えると、どんな事象に対しても、その奥にある物語やその周りに広がる世界を感じたり考えること、また、その事象が短期的、長期的、そして歴史的にどれほどのモノなのかを感じたり考えることができるようになる必要があります。

ニュースを見ていても、本当にそこで報じられた物事の「本質」を感じたいのであれば、ニュースで報じられていないその周りの世界や、歴史などにも思いをはせる必要があります。もっと実感したいなら、実際に現場に足を運んだり、あらゆる人の話を聞いてみたり、調べたりする必要があります。

まるで何も考えずに、「自分のしたいことがわからない」とか、「何を選んでよいか分からない」と嘆く人は、年齢に関わらずたくさんいます。そういった人が堂々と自分の「道」を描いて生きるキッカケを、このブログメディアでは創れたらと思っています。

人間の奥深さや言葉の重みも、この「物事の本質」とどれだけ近いところで生きてきたかによって変わってくると思います。そのヒントをこのブログメディアで書けたらと思っています。

なぜ物事の本質を見ることが大切なのかは今後の記事でも随時、示していきたいと思います。

一つだけ、ここで、ポイントを言っておきます。

『物事の本質を見る』ためには、ある程度の『考える』は必要になる

ということです。

それでは、拙い文で、いつまでも青いままの、未熟者が、偉そうに書いていくので、面白がって見てくれたらと思います!

少しでもこれを読んでくださる方の、「共感」になったり、「ヒント」になったり、「きっかけ」になったり、「勇気」になったり、「支え」になったり、「力」になったりできるように、物事の本質を伝えられるように、書いていきます。

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