夢へと続く道2~中学生時代~

夢へと続く道2~中学生時代~

野球部の改革と夢の諦め

小学校6年生までインドにいて、中学から、僕は日本に帰ってきました。

インドから日本に帰ってきた僕は、何も分からず、中学校の野球部に入りました。その頃僕が想像していたのは、まさに、少年野球漫画の世界でした。『メジャー』や『キャプテン』や『プレイボール』のような、毎日泥だらけになって、本当に血と汗と涙を流して、野球をするような感じです。日本の中学校の部活動はそんな感じだと、思い込んでいました。そして、それに憧れていました。

衝撃を受けました。僕が入った、野球部は、テキトーに、遊ぶ、みたいな活動をしていたのです。大きな失望と、いや、始めだからまだ分からない、という期待がありました。しかし、その期待は打ち砕かれ、部活動の活動の酷さはどんどん悪化していきました。部活に来ては遊び、ふざけて、顧問の先生も忙しくてほとんど練習には来れず、無法地帯でした。僕は時間がたってから、ようやく、ボーイズやリトルリーグのようなものがあることを知りました。勿論本気でやりたいなら、すぐに部活動なんかやめて、そちらに行けばよかったのですが、僕は、悩んだ末に、「部活動を変える」ことを選びました。

東京の中学野球は、まず、区大会があり、そこで何十チームの中から勝ち上がると、都大会、そこでまた勝ち上がれば関東大会か全国大会かなんかに出られる、そんな感じです。僕の入った部活動は、一番初めの区大会でさえ、いまだかつて一生もしたことがない、そんなチームだったのです。

やる気のない人たちと戦い、チームメイト皆がほぼ「敵」状態の中、僕はやりすぎず、少しずつ、うまいこと変えていこうと、手探りを続けていきました。周りがやる気がない中、行動でも見せる必要がありました。早起きして朝練習をしたり、素振りも200回を続けていました。新しく作った自主練習トレーニング日には、欠かさずに毎週一人でも行き続けました。途中で、チームに左バッターが少ないから、左に挑戦しないかと、顧問の先生に言われ、毎日かなりの数の素振りを続けて、3か月くらいで右より左のほうが打てるようになりました。

結果、三年生の最後の大会で、僕らは区大会でベスト8まで行くことができました。僕の中学からすると、これは、快挙でした。そして、僕らの次の代からは、都大会の常連になりました。全国大会で優勝するチームなどとも、練習試合ができるようになりました。

これは、僕一人でやったわけではなく、キャプテンや他の人たちの協力があって、できたことです。こんな中学生活を僕は送りました。

そして、こんな日々の中で、僕は「プロ野球選手になる」という夢をいつからか諦めました。周りを見渡して、自分の現実を見て、限界を知ったのです。この頃から、「将来の夢は?」と聞かれると、「野球とかスポーツに関わる仕事かなあ」と答えるようになりました。だんだんと、自分の将来を考えると、漠然とした不安を感じるようになりました。「夢がない」という現状に、「明確に心の底からやりたいと思うことがない」という現状に、焦りや不安を感じるようになったのです。

マインドの大成長

中学二年のクラスで、僕は、大きく成長しました。それまでの僕は、変なプライドをたくさん持っていました。他の記事でも書きますが、僕はもともと、利己的な性格でした。自分中心に世界は回っているような感じですね。恥ずかしい思いをしないように、嫌なことは避けて避けて生きていました。

しかし、中学二年生のクラスは、一人一人の個性を活かす環境がありました。自分から普段発信しない人も、自分から自分を出すのが苦手な人も、うまいこと自分を出せる、周りがそれを引き出して、引き立ててくれる、そんな環境だったように思います。

そこで僕は、自分の個性を出すことを覚えました。それまでは、周りの中になるべく溶け込み、「みんなと同じように普通に」を目指して生きてきましたから、自分の個性を、出してもよい、出させてくれる、その環境は、僕に自分の個性を出すことの、素晴らしさを教えてくれました。

中学二年の時、学年全員の前で、発表をする機会がありました。それまでの僕なら、絶対にそんな場所に出ていって、目立つなんてことが、万が一にでも起こらないように、隠れ続けてきました。しかし、そういう発表を、しなければいけなくなったわけです。それまでの人生の中で初めて訪れた大人数の前での一人での発表でした。しかし僕は、何を思ったか、そこでも、個性を出しに行ったのです。皆が、まじめな研究発表をする中、僕はダジャレを言いまくる発表をやってやりました。「アルミ缶の上にあるミカンの上にアルミ缶、の上にあるミカン…」てのを二百人の前で言い続けたわけですね。人生初の人前での発表でね。

これがね、ウケたんですよね。

こういったことが相まって、僕は「プライド」が無意味であることに気が付いてしまいました。そして、人を笑わせる喜びを、知りました。自分が恥ずかしいとか、そんなことは、どうでもよくて、恥ずかしくても、人が笑顔になるなら、それでいい、ということを、学んだのです。

ちょっとした、利己主義から、利他主義への成長ですね。

それからは、女も男も関係なく、話すことができるようになったり、変顔をバンバンできるようになったり、人前で話すこともできるようになりました。

そして、何よりも、このマインドの成長以降、物事の本質をが見えるようになってきました。

~小山台にて~に続く

夢へと続く道カテゴリの最新記事