教師に求められること

教師に求められること

 「これからの教員に求められることについて持論を聞かせてください。」というご要望をいただきましたので、教師をやったこともない愚か者が、偉そうに書いてみようと思います。絶対に真に受けないでください。

 今日(2019年12月24日)、BBCが、日本語の「不登校」が ”futoko” という英単語になったと伝えました。その原因は、「日本の学校システム」にあるのだと伝えています。はっきり言って、日本の学校システムは腐っています。まず、政府が腐っていて、その下の文科省が腐っていて、その下の教育委員会が腐っていて、そして、学校システムが腐っています。政府を選んだのは私たちですから私たちが腐らせたのです。学校システムの腐りと、我々国民と社会の腐りが合わさって、”futoko” という英単語が完成されたように感じます。この腐った組織に一生を投じることを覚悟して、教員を目指そうとしている皆さんには、尊敬の念を抱きます。未来を作るのは子供です。だから子どもは宝です。子どもを育てるのは教師です。だから教師も宝です。

この学校システムがどうなっていくかも、社会がどう変化していくかも予想はできません。ただ ”futoko” が減る方向に変化していくとは思えません。そんな未来で教師をやる人に、何が必要か、僕なりに考えてみました。

社会を知ること

 確実に言えることは、教育のデジタル化が急速に進んでいくであろうということです。将来的にも、プログラミングや機械を使いこなせる人材は必ず重宝されます。今、日本の教育のデジタル化は世界的にとても遅れています。一言で言うと、「ヤバい」です。ほんとに最近になってから、政府はやっとこさデジタル化に力を入れ始めました。

そう、教師に必要なのは、社会を知ることです。僕は極論、教師は全員一度社会に出たことがある人がやるべきだとさえ思っています。ただ、社会を知るのは、大学のうちにも実はできます。それをせずに、大学時代も部活やサークルと遊びとバイトに時間を費やし、そのまんま教師になり、一体そんな人が子供たちに何を教えるのか、と僕は甚だ疑問です。そういう人たちは、子供は教科書に載ってることだけ覚えりゃ立派な大人になれるとでも思ってるんでしょうか。教科書が間違っていたら、一体どうするんでしょうか。

そもそも教師とは何なのか。

「教師」というものについて、考えてみます。基本的には、「教師」という職業を一生かけてやりたい!と思う人たちが、「教師」になるわけですよね。一度しかない、「教師」という職業に費やすのです。

「教師」は、子供にとって、とんでもなく重要な存在です。これをそもそも分かっていない人が、教師になることが今の日本ではとても多いと思います。何度でも言います。「教師」は子供にとって、いや、いち人間の成長にとってとんでもなく重要な存在です。

「人間を育てる」これって、とてつもなく魅力を感じると思います。未来を創るんですよ。子どもは日本の資源です。日本には天然ガスや石油が出たりしません。日本の資源は人であり、子供なのです。その子供たちに深く深く関わり、寄り添っていくのです。

僕はよくわからないことがあります。一生かけて、「教師」という素晴らしい仕事をやるんだ、と考えている人たちが、「労働時間が長すぎる~」とか、「部活は外部委託だ~」とか、「サービス残業多すぎる~」とか、こんなことを言うのは、どういうことなのでしょうか。僕には理解ができません。それなら教師なんてやらなきゃいいじゃないですか。「教師」は普通の仕事とは、全然違うんです。サラリーマンとは違うんです。目の前に、子供がいて、人がいて、宝物がいて、それを教育するんですよ。僕からしたら訳が分からない。「教師」がなにかを理解していないようにしか思えない。なめすぎじゃないですか?もちろん過労死するぐらい働けとか言ってるわけじゃありません。やりすぎはもちろん子供へも悪影響ですからダメです。問題は「働きすぎ」にあるんじゃなくて、日本の「何をするにも報告書だの責任だの許可だの署名だのがとんでもない量必要になる文化」とか「地域コミュニティの教育意識の低さ」などが問題なのではないでしょうか。「教師」は、一体どれほど無意味な書類を書くのに時間を費やしているんでしょうか。これを変えなきゃいけないのに、何を考えたんだか、「教師の働き方改革」とかとんでもないですよ。

こういう根本的問題も、社会に出ればよく分かりますし、「教師」や「教育」がいかに大切かもわかります。たくさん自分から動いて、ビジネスをやってみたり、ボランティアをやってみたり、世界を旅してみたり、本を書いてみたり、大学のうちにも社会を知るためにできることなんて、たくさんたくさんあります。

たくさんの人間と関わり、たくさんの自分の知らなかった世界に出会い、たくさんの新しい価値観に出会い、たくさんの世の中の不条理に出会い、たくさんの社会の問題に出会い、そしてやっと、「教師」として、子供に一つでも多くの選択肢を提示できるようになるのではないでしょうか。社会を自分の目で見て、たくさんの「道」を、知りましょう。

究極の謙虚心を持つこと

こういうことを言うと、じゃあお前教師やれよ、とかいう人がいるのですが、僕はそういう発想になる人は教師になるべきではないと思います。

教師が持つべき意識は、「自分が生きてきた人生を素晴らしかったと思わない心」ではないでしょうか。人は誰しも、一生懸命、一生懸命生きてますから、自分が生きてきた人生を否定されるのは我慢ならないという気持ちになってしまいます。でも教師はそう思ってはいけないと思います。教師は、そもそも自分の人生は「素晴らしい」ものでも、「素晴らしくない」ものでもない、という気持ちを持っていることが大事ではないでしょうか。究極の「謙虚心」です。はっきり言って、「自分の人生は素晴らしい」と思っている教師は、自分の人生で「うまくいったこと」「よかったこと」を生徒に押し付けます。「自分の人生は素晴らしくない」と思っている教師は、自分の人生で「うまくいかなったこと」「失敗したこと」を生徒にはやらないように言いつけます。つまり、傲慢になります。

一つでも多くの選択肢を、子供たちに見せてあげるのが、教師の役目です。そして、「あなたはあなたでいい」と、そう伝え続けてやるのが、教師の役割です。自分の人生が「素晴らしい」とか「素晴らしくない」と思っていたら、それができなくなるのです。何でも肯定しろと言っているわけではありません。勿論、間違いを一生懸命教えてやるのも教師の仕事です。

子どもたちに一つでも多くの選択肢を教えてあげるためには、究極の「謙虚心」を持たなければいけません。究極の「謙虚心」を持つためには、一生懸命、色んなことにチャレンジして、いっぱい間違いを経験して、失敗して、辛い思いを知り、弱者の気持ちを味わう経験を重ねることが重要だと思います。なんとなく生きて、教師になって、一体何を教えるんでしょうか。失敗をなるべくしないように、すり抜けてすり抜けて生きてきた教師が、一体何を教えるんでしょうか。

「人のために」の経験を重ねること

 日本では、大学に行き、教員養成課程で勉強し、免許を取り、採用されるという流れで教師になる人がとても多いです。大学では、ほとんどの時間を部活動と勉強に捧げ、そして採用されて教師になる。そんな人もたくさんいます。なんてことでしょう。自分の好きなことを大学生までやり続けた人が、教師になって、子供たちにどうやって「人を想う大切さ」や「人のために行動する素晴らしさ」を教えるというのでしょうか。自分の好きなことにほとんどの人生を捧げた人が、教師になるんですか?もちろん、それまでにもたくさんの苦労と苦悩を経てきたことでしょう。でも、長いスパンで見たら、ただただ、自分のために時間を使い、自分が達成感を得ることに、時間を使ってきた。それで、子供たちに、「人を想う気持ち」「人のために行動する素晴らしさ」を教えるんですか?それこそ偽善じゃありませんか?説得力がありますか?子供の心に響くでしょうか?子供たちはそういうところ、分かるんですよね、なぜか。

さて、どうしましょうか。選択肢はいくつもあると思います。勿論部活動を辞めて、誰かのために何かを始めるのも一つです。でもそこまでできる人は少ない。

ならば、部活動の活動の一環で、誰かのためになる活動を企画したり。例えば、野球部なら、近くの小学校を訪ねて、校長先生にお願いをして、体育の時間一時間借りて、プラスチックバットとかで、誰でも楽しめるようなルール考えて、野球を教えてあげたり。そりゃ考えれば何でもあります。

そういうことを、いち早く自分からやって、どんどん失敗を重ねることです。その「失敗を知ってること」こそ、さっきも述べたように、教師に求められる力なのですから。

他にも選択肢はありますよね。部活をやりながらでもできることはいっぱいあるし、それでも大学の間は部活動と勉強だけであとはバイトと遊びだけがいいと思うなら、大学辞めてから浪人して人のための活動に時間を費やしたらいいですよね。今の日本の大学の部活動の大半は世界的に見ても超遅れています。海外で、あんな長い時間拘束されたり、ルールがバシバシに決まってたり、先輩後輩わーわーやったり、伝統がどうのとか言ってる部活動は、そんなないはずです。自分の活動をしようと思ったら、辞めなきゃいけないのが今の日本の多くの部活動の現状ですよね。

別にサラリーマンなら、「人のために」という経験をしてようがしてまいが、そこまで重要ではありません。でも、「教師」という職業には、「人のために」費やした経験が絶対必要だと僕は思います。

これは、恋愛でもいいんです。勿論友情でもいいんです。部活動も親に活躍するところを見せたいとかをモチベーションにするのも、仲間のためにやりたいというのも、いいですよね。甘いけど。「誰かを本気で想う」という経験を必死でやることで、「人のために行動する素晴らしさ」や「人を想う大切さ」を心から伝えられるようになると思います。

「考えさせる」力を鍛えること

もう一つ必要な能力が、「考えさせる」力です。社会に出たら、「考える」がめちゃくちゃ大事です。どんな授業もそうです。「考えさせる」授業は、「アクティブラーニング」の授業にも直結します。

まず、この学びがなぜ必要なのか、考えさせることが必要です。なぜ、こんな公式を学ばなきゃいけないのか、なぜこんな単語覚えなきゃいけないのか、考えさせましょう。そして、どんな意見でもいいから、なるべく肯定してあげましょう。基本的には、正解を作ってはいけません。そして、絶対出てこないであろう「いち意見」を自分で考えておきましょう。そして、それも「いち意見」として出してあげましょう。

なぜ、主人公はこうしたのか、考えさせましょう。正解なんて、決めてはいけません。僕の学んだ小学校の国語は、物語を読んで、「この主人公はどう思っていたでしょうか」という問題に「答え」がありました。それに向けて皆だんだんと同じような回答を考えるようになってきます。僕はその中で「自己肯定感」を一切持つことができませんでした。音楽の授業では「世界に一つだけの花、一人一人違う種を持つ、その花を咲かせることだけに、一生懸命になればいい」と歌わせておきながら、他の教科では皆と同じ花を咲かせさせる教育をする…もうやめましょうよ。

クラス内で、喧嘩が起きたなら、みんなで考えましょう。みんなに考えさせましょう。何が悪かったのか。そして正解なんて無いということを、教えてあげましょう。皆悪いところがあり、皆良いところがあるということを、教えてあげましょう。

「考えさせる」力は、自分が「考える」経験を重ねると伸びていきます。そして、上に述べた三つのことを今すぐに始めれば、「考えさせる」力はどんどん伸びていきます。

まとめ

まとめると、僕が必要だと思う教師に必要なことは、

・社会を知ること

・究極の謙虚心を持つこと

・「人のために」の経験を重ねること

・「考えさせる」力を持つこと

他にももっともっとあるとは思いますが、ベースはこの4つになると思っています。是非、これを真に受けてしまった方は、明日からでも、「考道」を始めてください。

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