SNSをしっかり諦める

SNSをしっかり諦める

今回の話はちょっと難しく感じるかもしれませんが、ちょっと考えてもらいたいと思います。長いけど、ほぼ確実に新しい示唆を得られるから、ほんまに読んでほしい!

SNSをある意味諦める

今回はSNSについて分析して、向き合い方を考えてみたいと思います。

SNSの発生

SNSは、もともとは「2チャン」とか「ミクシー」「ニコ生」のようなものから始まりました。匿名で社会的弱者が居場所を作る場所、というのが元来のSNSだったわけです。

それでは、最近のSNSを考えるために、今ではとても多くの人が使用している、「Twitter」「Instagram」「Facebook」の各々の特色を見てみます。

Twitterを考える

まず、「Twitter」は、140字以内で、様々なことを投稿する、拡散型SNSです。言語以外にも、動画や写真も投稿することが可能です。

では、使用する人の深層心理を見てみましょう。

基本的に、「Twitter」の一番の特徴は「ボタン一つで拡散ができる」ということです(リツイート)。

基本SNSでは、自分のアカウントを自分が許可した人以外には見られないようにすることができます(鍵アカウント)。鍵アカウントでTwitterを利用してる場合は、ただ知り合いを笑わせたい感じで、クラスや友人グループの中で何かを発言しているようなものです。そんな感じの意識でTwitterを使っているのではないでしょうか。

一方、アカウントを誰でも見れるようにすれば、全く趣旨が異なってきます。まず、アカウントの名前を「匿名」にしている場合、大半が、自分の「世界に素手で触れる感覚の不足」を満たすために、誰かのしょうもない投稿に「いいね」したり、目立ちすぎてしまった人を非難してみたり、、、そんな「卑怯なやり方」で、自分の欲求を満たそうとしています。こういう人を生むのがこの悲しい社会であることは覚えておくべきです。

(昔も「承認欲求」に飢えてる人が世界にはいました。暴走族とか不良とか、非行に走る人は、基本この類でした。でも彼らは大体自分の名前をしっかり背負って、「ケジメ」を大切にしている場合がほとんどでした。)

一方、しっかり自分の本名でTwitterをして、誰かに意見を言おうとする人は、道徳的には反していませんが、それによって「世界に素手で触れる感覚の不足」を満たそうとしています。本名を名乗ろうが名乗らまいが、「バズりそうな」投稿を一生懸命投稿する人は、「承認欲求」を満たすために、SNSを使っています。投稿するときにはそんなこと考えていない人も、例えば自分の投稿に「いいね」がつけば、その分「嬉しい」という「承認欲求」が満たされる気持ちになるでしょう。これは人間の本性でしょうから批判することでも何でもありません。いいことをしてみんなから褒められたら嬉しいでしょう?

まず、これが「Twitter」の現実です。

Instagramを考える

最近では上の世代も利用率が伸び始めている「Instagram」は、自分の日常を日記のように画像や動画を用いて表現する、視覚型のSNSです。

もともと、「何かを表現する喜び」にフォーカスしていたSNSです。しかし、いつからか「インスタ映え」という言葉が広がるようになりました。

例えば、「すごい」とか「きれい」と思う写真を見たら、「いいね」と思いますよね。すると、人は「いいね」と思ってもらうために、写真を投稿するようになります。すると人々は、わざわざ「インスタ映え」を目的にして行動するようになります。美味しいご飯を食べても、写真を撮って投稿し、「美味しい!」という満足感を、「いいねされた」という満足感が上回るようになります。自然の流れですね。インスタは日常を発信するSNSでしたから、日常のほとんどが「承認欲求」に支配されるようになってしまったのです。

しかし、時代はどんどん進みます。だんだんと、「承認欲求」に縛られて生きていることに気付き、疲れてしまう人が増えてきます。すると、まず自分の「承認欲求」がイヤになってきます。そして他人の「承認欲求」も、なんだか「気持ち悪い」と感じるようになってきます。

ここまでいくと、SNSに限界を感じるようになります。そして距離を置くようになるか、使い方を変えることになるのです。

Facebookを考える

Facebookは、海外で友達を作りたいなら、使っとけばいいと思いますが、若者はあまり使っていない、おっさんアプリです。たしか大学での生徒管理のものを作るとして開発されたのが始まりだったように思います。だからFacebookは本名で使うSNSであり、ほとんど名刺代わりとして使用されているのです。

ですのでFacebookには「承認欲求」がそこまで蔓延っていません。蔓延ってるのは「おっさんの自慢」くらい。

まずは、これらのSNSの深層心理をしっかりと分析し、理解しましょう。

「承認欲求」の正体

社会で人と人の本質的な繋がりが希薄になった今、「承認欲求」を何かしらで満たさなきゃいけないのは明白です。人間が人と人の繋がりで幸福感を覚えるのは科学的にも証明されています。だから、「承認欲求」はいたって「自然」なのです。でも「承認欲求」も行き過ぎれば、純粋な美しさを、純粋に感じたり、純粋に表現することができなくなってしまいます。ここに人は違和感を覚えるのです。

他人が良いと思うものを考えて自分の欲望を満たそうとするのと、他人のために何かをするのは、同じように見えて本質的に違います。前者でいれば、社会の大多数の(全体主義的な)統一された美意識に洗脳されます。これではその人が持っていたその人独自の感性を痛めつけるて忘れることになるのです。

ここまで考えた上で、僕のSNSの使い方を紹介します。

まず、Twitterは、本名で鍵をかけずに使っています。投稿内容は、おそらく説明したら多くの人が理解してくれるようなことと、宣伝だけです。承認欲求とかを一切気にしない人しかフォローせずに、「学び(情報キャッチ)」の場として俯瞰しています。

次にInstagramは、宣伝(ブランディング)としてしか使用していません。見れば見るほど「なんとなく生きる現実」に引き戻してきそうな人は全てフォローを外しました。

Facebookはオンラインサロンのプラットフォームとしてと、海外の友人と繋がる手段として、利用しています。

僕はSNSをほぼ、「宣伝」と「学び(情報キャッチ)」にしか利用していないのです。このやり方を始めてから、SNSがかなり快適で有意義なものになりました。

僕が友人のフォローを片っ端から外すことについてこんなことを言う人がいます。「SNSは誰かと繋がっておける(連絡手段を持っておける)手段だよね、それが無くなってもいいの?」と。こう答えます。「いや、繋がりたい(連絡したい)と思ったら、知り合いを辿って行けば絶対繋がれるよね。それに、フォロー外したくらいで繋がりが一生無くなるくらいの人ならそれまでの関係だっただけだと思うよ。」と。そしたらこう言われます。「でもみんなの日常とか見るの普通に楽しいじゃん。みんなが何してるのかも知っておきたいじゃん。」と。こう答えます。「“楽しい”は生活の中に他にいっぱいある。違和感付きの“楽しい”は、イマイチな“楽しい”。それに僕は“なんとなく生きてる日常”を覗いてるとなんか疲れる。本気で何かしてる人の活動は、自然と耳に入ってくるはずだ。それほどの活動をしてないなら、久しぶりに会ったときに、なにしてたか聞いた方が新鮮で面白い。」と。僕はフォローしてない友人が嫌いなわけでもないし、ダメだと思ってるわけでもない。むしろみんな好き。ただそれは関係ない。

ここまでいけば、SNSで何かを投稿しても、「承認欲求」は完全に無であり、「いいね」の数は広告効果の把握にしか感じなくなります。しかし、ここまで俯瞰してSNSを使える人は、ほとんどいないでしょう。

SNSで何かを投稿すると、どうしても、「承認欲求」が発生します。そして、もし僕のように「承認欲求」が完全に無になったとしても、僕の投稿を見ている人は「承認欲求」をもとにしてSNSを利用している人がほとんどです。だから、SNSに投稿すると、内容の「価値が落ちる」という現象が発生します。

さらにSNSをダラダラと見てるとき、多くの人は深層心理で、「私はこんなことをしていていいんだろうか…」というのを持っています。

これに薄々気づいている人が、実はたくさんいます。

今や、多くの人にとって、SNSはモヤモヤを生み出すだけのものになっているのです。これが現実です。反論があるならしてみーや。(調子に乗るな、なんくん!)

そういう人にアドバイスです。

SNSをそういうものだとちゃんと認識して、純粋な「表現」としての価値は諦めよう。そして自分なりの向き合い方を決めてみよう。

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