「知らない」から嫌う

「知らない」から嫌う

ぬーん。本日映画『Fukushima50』を見て、「生きてるって凄い」としみじみと感じて、東電の愚かさから、現場の人間のリアルと、そこから日本の働き方の弱点まで、思いを巡らせているなんくんです。

今日も、先日の『「嫌い」を使うな!』に続いて、日常の中で知らぬ間に損をしてしまっているかもしれない、についてもっと込み入って話したいと思います。

これは、キンコンの西野さんが常々仰っていることです。

人は「知らないもの」を嫌う。

これが今日のキーワードです。

(勿論、あくまで、多くの人に見られる特徴ということです。)

これ僕すごく納得です。

自分も経験したことがあります。僕は、ずっと「塾」が嫌いでした。なぜなら、「塾」って「学歴主義」が時代遅れ的にはびこっている場所だと思っていたからです。そしてそれを信じている者たちが、「塾の先生」だと思っていたからです。でも、大学に入って、友達が「塾の先生」をやりだして、「塾の先生」がどんな人なのかを知って初めて、「嫌い」という感情が少し減ってきたのです。僕の友達で「塾の先生」をしてる人たちの多くは、別に学歴至上主義者でもないですし、時代遅れの頑固人間でもありませんでした。(一体どれだけ偏見を持っていたのか…笑)

皆さんも、自分自身こんな経験をしたことがある人が多いのではないですか?

例えば、中学校あたりから、学年に一人、「めっちゃ目立つ陽キャ」みたいな人がいませんでしたか?なんとなく、そういう人に関わりづらいとか、「嫌い」というような感情を抱いたり、もしくは周りの人がそう言ってるのを聞いたりしたことはないですか?でも、だいたいにおいて、「めっちゃ目立つ陽キャ」と少しでも直接お話をして、その人のことを知ると、全く「嫌い」とかいう感情は消えてなくなってしまう。こんな経験したことないですか?笑

さて、僕は昨日「嫌い」という言葉を使うのをやめて、「好きではない」という言葉を使おうという記事を書きました。昨日は言わなかったのですが、「嫌い」という言葉を使うデメリットがもう一つあります。

それは、上に書いた理論から分かることです。

「嫌い」という言葉を使えば使うほど、自分が「知らない」ことが多いということを晒してしまっているようなものなのです。

勿論ここまで考えて生きてる人はそんな多くないかもしれません。でも、少なくとも、僕は、「嫌い」という言葉をよく発する人と出会うと、こう思ってしまいます。「この人知らないことが多いんだな。」これはほぼイコールで、「この人まだまだ学びが少ないんだな」になってしまうと思います。

でもこういう意見があると思います。学んで、知って、それで「嫌い」ということもあるんじゃないか?と。僕はこの意見はよくわかるのですが、でも賛成はしかねます。なぜなら、ちゃんと、身をもって学び、身をもって知ったならば、多くの場合、そこにある「人間の努力」や「人間の気持ち」に気が付くからです。勿論これが「悪」であることもあります。その時は「嫌い」という言葉を使うかもしれません。例えば、殺人犯のことはどうしたって「嫌い」かもしれません。でも、本当にちゃんと学んだら、だいたいのことにちゃんとあるんです、見えてくるんです、「人間の努力」や「人間の気持ち」が。そしたらね、一言で「嫌い」なんて言えなくなります。せめて「好きではない」という言葉に必然的になるのです。

つまり、まとめると、「嫌い」を無意識のままに言っているのは、「自分の無知」をまんまと発表してしまっているようなものかもしれない、ということです。もしかしたらそれで「損」を知らぬ間に被っているかもしれません。別にメリットも「自己満足」以外にないのなら、もう「嫌い」という言葉を使うのはやめた方が賢いのかもしれません。

あまりにも細かすぎだろと思うかもしれませんが、でもね、「信用」を圧倒的に大切にしているプロはここまで考えているということです。

そして、これからの大きく指数関数的に変化していく時代で、「知らないものを嫌う」ということをいつまでもやっていては、時代に取り残されて、食いっぱぐれる気がします。自分がなんか嫌だなと感じた時は、必ず「知らないものを嫌っていないだろうか」と疑ってみましょう。

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