第8回 水の民におけるシン・働き方改革

第8回 水の民におけるシン・働き方改革

さぁ、今日もはじめていきましょうか。

まず明鏡止水に整えるべく、ちょっとボディーワークからはじめましょう。いまどんな姿勢で読んでいますか。寝っ転がってる?そしたらちょっと起き上がってもらって椅子に座るか床にあぐらで座ってください。次に頭の先から天井まで釣り糸で繋がっているイメージ。ここまでついてこれてますか。そしたらその釣り糸を真上に引っ張りあげてください。いいですね、姿勢良くなってますよ!続いて神社でお祈りをするように胸の前で手を合わせてそれを胸にくっつけてください。ここで一回そのまま深く息を吸い深く息を吐きましょう。続いて合わせている手をゆっくりと離していきます。(この時は手を身体から離しても大丈夫です)そしてその手のなかに20センチくらいの球体をイメージします。イメージできたらボーリングの球を磨くように手で磨いてあげてください。いい感じです。きれいになったなと思ったら両手のひらを天井に向けて、息を吐きながら手を下ろしてくだい。はーい、これで終わり。だいぶ整いましたね。ちょっと肩動かしてみて?軽くなってない?

初めて読んだかたは「え?なにこれ」と寝耳に水だったかもしれませんが、この連載『水になる』ではボディーワークから始まることが多いんですね。これは実は参考にしているものがあって、チームラボの猪子さんがこんなことを言っていたんです。

 

サウナに入り、ととのいながらアートと一体化する。この新しい展覧会は、高級な場所にアートを置いて人々に見てもらうよりも、人々を最高級な状態にして、アートを見てもらおうというもの。来場者がどこまでも広がっていく身体感覚で超自然現象的アートと一体となり、世界と時間に再びつながること(リコネクト)を目指しています”

 

これは面白いと思ったぼくは早速ぱく、いや参考にし『水になる』に応用しました。つまり、序盤のボディワークはサウナの役割だったんですよ!

この連載では書く内容は事前に決めるということはせずに行雲流水よろしく流れるままにキーボードを打つというスタンス。決めているのは「深く潜って、高く跳ぶ」を意識しながら、読後感は「やさしい風がそっと吹いた後のような感じ」これだけを軸に置いてます。そして読み物というよりは飲み物のような、読むというよりは聴くに近いような、テキストでありながら非言語で在るようなもの。さらに、海馬にある記憶のもっともっと先の輪郭に触れたいという心持ちなわけです。そこに至るには「ととのう」は結構重要なポイントなんす。これは書くぼく自身もだし読むあなたも。そういうわけで長々とボディーワークを入れてるんです。ちなみにこんなワークはないのでぼくがその都度その場で考えて?探りながら?つくっています。

だいたいボディーワークまで書き終わってなんとなく達成感を得てしまって「ふう、書き終わった」っていう気になるんですが、本題全っくねぇじゃねかと。もうすぐ日付が変わる(当連載は毎水曜更新)んですけどぉお!となっているのは毎回のことで、ちなみに現在時刻は水曜日の21時43分です。

 

 

小休止の1コマ 花をつむ人

 

それでは、ようやく本題に入ろうかと思います。タイトルには『水の民におけるシン・働き方改革』とあります。どういうことでしょうか。一緒に見ていきましょう。

もしかしたら読んでくれている方の中には生きづらいなぁと思っている方もいるかもしれません。それは自然界と人間界のルールのずれから生じる揺れなんじゃあないか。ということは過去回で触れました。例えば、ミツバチが花から蜜をもらい、その過程で花粉が受粉するという自然ルールの中ではミツバチは「10花粉運ぶので5蜜ください」みたいな営業してないと思うんですよ。

トランスジェンダーにも近いのかもしれません。心は自然なのに身体は人間。そのギャップに苦しくなったりするのかも。水の民の皆さんは水は方円に随うともいうように繊細なので形を自在に変化することができます。しかし合わない器、例えば人間界のルールで長くいると自然に還りたいが誤翻訳されて「死にたい」になっちゃたりするわけです。

 

ちょっと前にしたある実験

ある実験をしてみました。それは、画用紙に「カヤノヒデアキの生存券」と書いて一枚1000円で販売してみたんです。すると1ヶ月で8万円の売り上げになったんです(驚)当時無料でお手伝いをしていたりしたので、その時のお礼として購入してくれたり、いつも生き方や考え方に刺激をもらっているのでと購入してくれる方が現れたのでした。これは通常のお金の流れとやや異なっています。これ何かに似ていると思いませんか?

そうです。路上循環スタイル。

路上でパフォーマンスを大衆の前で披露し、最後にお金を渡したい人がお金を渡す。

それって決まったルールがあるわけではないですよね。10秒立ち止まって観たら100円みたいな条件があるわけではないんです。楽しんだ後に無料でその場を立ち去ることもできる。しかもそれを悪ともしていません。その場では表現したい人が表現をし、観たい人がみて、お金を払いたい人だけが払うという誰も無理をしていない場が成り立っています。

この連載もぼくが書きたくて書いていて原稿料は発生していませんし、購読料もありません。しかし先日、匿名で『水になる』のお仕事代を振り込んでくれる方がいました。他にもお父さんバンクという仕組みを運営しているのですが(詳細は省略)こちらも無料の仕組みゆえ、ぼくのポケットにはお金は入ってきません。しかし、個人的なクラウドファンディングをしたところ支援してくださった方にはお父さんバンクがきっかけで出会った人が多かったのです。

「なぜそんな金にならないことをボランティアでしているんだ」とたまに聞かれるんですが、ボランティアでしているつもりもないですし、お金にならないとも思ってないいんです。

6年ほど前のある取材ではインタビュアーの方から「ちゃんと働こうと思わないんですか?」と聞かれたので「逆にあなたにとってちゃんと働くって何ですか?」と質問に質問で返したところ、「決められた時間に会社に行って、決められた仕事をして、決められたお給料をもらうことです」という返答が来たので、この人とどういう言語で会話したらいいのだろうか。となってしまいました。そろそろ「ちゃんとした仕事」がアップデートされたり、仕事の概念が拡張されてもいい頃だなぁと思います。

それを仕事と認識してくれる人がいてくれれば仕事ととしてなりたっていきます。例えばソーシャルグッドなんてこれからお金になると思います。

ただしそれに必要になってくるのは。。。。

【次回予告】 マズロー、スシローに行く 

 

それでは来週までお達者で!

 

 

 

▼あとがきのコーナー

もしかしたらお気づきの方もいるかもしれませんが、今回は「水にまつわることわざ」をふんだん無理やりねじ込んで調理しました!

■明鏡止水

邪念が無く、静かに落ち着いて澄みきった心の状態のたとえ。

 

■寝耳に水

突然、思いがけない出来事に出くわし驚くことのたとえ。

 

■行雲流水

物事に執着せず、自然の成り行きに身を任せること。また、とどまることなく自然に移り変わってよどみがないことのたとえ。

 

■水は方円の器に随う

人は環境や友人によって、良くも悪くも変わるというたとえ。

 

使いたかったけど使えなかったもの

↓↓↓

■落花流水の情

男女がお互いに慕う気持ちを持っていることのたとえ。散る花には、流れる水にそって流れて行きたいという気持ちがあり、流れる水には散った花を浮かべて流れて行きたいという気持ちがあることから。

 

トゥルルタッタッター♪かしこさが5あがった。

コメントなどもありがとうございます〜。はげみになってます〜。

書き終えた現在23:12

これからアップの準備!

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