フェミニズムの広がりと父性への憧憬

フェミニズムの広がりと父性への憧憬

 日曜日の連載は南大樹がお送りいたします。今日は「ジェンダー平等」が叫ばれる中で、忘れ去られてしまうのか、、、はたまた残り続けるのか、凄く微妙な立ち位置にいる「漢」について考えてみたいと思います。

今 『海 その愛』を歌うこと

 先日、レゲエアーティストの湘南乃風が、『湘南乃「海、その愛」』という楽曲をリリースしました。これは、若大将こと加山雄三さんが1985年に発表し、今でも広く愛され続けている「海、その愛」を湘南乃風がアレンジしたものです。

 昭和を生きた世代には馴染みのある歌だと思いますが、平成、そして令和の世代の多くは、「加山雄三」の「か」の字も知らないのではないかと思います。

 とりあえず是非、一度時間がある時に聞いてみてください。

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 さて、この「海、その愛」を、今、この時代に、あえて大きな声で力強く、湘南乃風が歌うことについて書こうと思います。

フェミニズムの拡大と分断助長

 日本で、「男女平等」が声高らかに叫ばれ始めてからもう何年も経過しました。それでも、日本の構造はなかなか変わらず、そのせいで新しい時代を生きる者たちが苦しみを感じることも増えてきてしまっています。

 「社会構造」が「時代」に合わないのは、今の日本の人口ピラミッドの異様さに加えて、テクノロジーの急速な発展などが進んだことで、様々なジェネレーションギャップがものすごいスピードで生まれてしまったからです。

 実際に苦しい体験をしたり、周りで苦しんでいる人がいた経験があったりすると、より問題意識も強くなり、敏感になります。

 その中で、強く「男女平等」を掲げる人が出てきます。それが「フェミニスト」と呼ばれるような人たちです。

 勿論、早急に時代に合わせて社会構造を変えていかなければ、多くの苦しみが生まれてしまいます。それは前提として話を進めたいと思います。

 ちょっと前の事ではありますが、前オリンピック組織委員会会長の森さんの発言が大きな問題となりました。それについては詳しくは下記記事をご覧ください。

 この発言もそうですが、「ジェンダー平等」が日々叫ばれているのにも関わらず、日本社会には未だに旧態依然の考え方を持って生きている人がたくさんいます。特に上の世代に多いですが、もはや「沁みついている」という表現が適切かもしれません。

 そういった人に考えを改めてもらえたら言うことはありませんが、もはや「沁みついている」ので、「考え方を改めろ!」と言って、もし「分かった!」と論理的に理解してくれても、自然と旧態依然の「おとこ」「おんな」という発言が出てしまうことはあるのです。

 若者は基本、時代に合ったジェンダー観を育んでいる人が多いですが、小学校や中学校では未だに朝礼の前に「男女別で並んでください」と言っています。このふざけた近代教育については甚だおかしな話だと思うし、森さんが辞めなきゃいけないなら、学校の先生はほとんど辞めなきゃいけないとも思ったりします。

 そんな「老害」と呼ばれるような、時代を前に進める障壁になってしまう人たちに、「差別だ!」とか「ふざけんな!」といった過激な思想を展開すると、この社会に新たな「分断」を生むことになってしまうでしょう。

 男性の人にちょっと「おとこ見せなはれ!」と言っただけで、社会から叱られ罵られ、バッシングされたら、

「生きにくい社会やな。”おとこ”とか”おんな”って言うだけでこんなことになるんか。」

と、苦しくなってしまうおじさんおばさんの気持ちはとても分かります。

 このように「おとこは」とか「おんなは」と言っただけで、冷たい目線で見られる社会に、現実的に突き進んでいるのは確かだと僕は感じています。

 過激な「男女平等」の訴えと、そこに突き進む社会の空気に飲み込まれた人間の言動が、この社会により悲しき「分断」を生んでしまうことに、私たちは注意深くあらなくてはなりません。

「父性」を持った「漢」観

 そんな「おとこ」とか「おんな」と発した時点でいろんな人からムッとされるこの時代に、湘南乃風は「海、その愛」をカバーし、「おとこならば!」と力強く叫んでいるのです。

 この歌を頭ごなしに否定する人が、今、とても増えているのではないかとは思いますが、きっと五十路以上の世代からはそれは理解不可能でしょう。

 まさに高度経済成長以後のバブル期直前に作られた楽曲ですので、家父長制の味も色濃く残っていますし、「おとこ」や「おんな」を勝手に「規定」しているように受け取れるところもあります。

 だのに、湘南乃風は、この歌を力強く、今、歌っているのです。

 ここで歌われている「おとこ」は、「性的な意味合いを含んだ男女表現」でも「生物学的な男女表現」でもないことに気づくことが重要です。

 それは時折「漢」という漢字でも表現されたりしますが、これは本来とてもジェンダーレスな概念であり、「父性」の象徴として使われることも多いのです。

 お父さんは娘のことをエロい目で見ないでしょう。それは父と娘と言う関係性だからこそ成り立ちやすいと考えることもできます。こういったある種の「父性」を会得する重要性は僕が常々述べていることでもあります。

今の社会には圧倒的に
「父性」が足りない。

 無論、このジェンダー問題については「父性」の端くれの話でしかありません。もっと大きく広く様々な問題にこの「父性」の再認識は必要とされていると僕は訴えています。

 「男」ではなく、「漢」と呼ばれる謎の概念が日本には存在してきました。それは勿論、原始時代の狩り採集文化以後、ずーーっと続いてきた、男女の役割分担を前提とした中で生まれてきた概念でした。

 社会全体が頭ごなしに「おとこ」や「おんな」といった言葉を否定し拒絶するようになると、僕はこの「漢」という概念が喪失してしまうのではないかと危惧しています。

 これは「父性」を持った表現であり、性的意思も皆無で、生物学的な意味も皆無です。生物学的には「女」の人が、「漢」を体現したっていいし、「漢」の奥にあるイメージは受け継がれるものであってほしいと思ったりするのです。特にここまで「父性」が消えた社会では。

 今、あえて、この歌を歌うこと、それは未来に分断を作ってなるものかという強い意志でもあり、これからLGBTQを含むインクルーシブなジェンダー平等社会を作り上げていく中で忘れられてはいけない「父性」の存在を、強く掲げているようにも感じるのです。

 では、それを踏まえてもう一度お聞きください。

 湘南乃風で『湘南乃「海 その愛」』です。

 

(  お わ り  )

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