第6回 だから、創作を続けよう。

第6回 だから、創作を続けよう。

毎週水曜日、あなたとここで出会えることを楽しみにしています。ぼくは「継続」があまり得意ではないんですがおかげさまで続いています。今日で6回目、過去5回ありましたがいかがでしょうか。こちらの連載『水になる』何回目かの投稿ではこの場所をBARに例えました。それはあながち間違ってはいない気がします。このテキストは読み物ではなく飲み物なんです、きっと。

メニューは水だけ。その水はゴクゴクとあなたの喉から身体の中に入っていき、頭の先から足の先までじんわりと駆け巡り、コンコン、と深い記憶にノックする。それに共鳴するかのように、あなたの中の水が振動する。そして、こう思うかもしれません。

 

「この感覚、懐かしい」

 

そうです、知っているはずです。ただ忘れてしまっていただけで。すべてがあって、やさしく、あたたかい記憶。そしてもうひとつの記憶があるはずです。『強烈な意図』すべてが全であったあの場から意図を持ったあの瞬間にあなたという個が発生した。もともと私とあなたの境なんてあってなかった。

 

ふうぅ、ちょっと足のつかない深いところまで行ってしまったので、いったん浅瀬に戻りましょうか。

 

四国お遍路第1番 霊山寺の写真

 

ぼく、この連載にあたっては結構な挑戦で、毎回何を書くのかということが自分自身にも全くわからないんです。書き始める前まではあれのことを書こうかなと思っているんですが、いざ書き始めると全く違うことを書いているし、何を書いたのかという記憶も薄いので、もしかしたら同じことを書いているかも。なので文章にはロジックなんてあったもんじゃない。なんなら読めなくてもいいとすら思っています。音楽を聴くように、絵を眺めるようにそんなふうにこのテキストとは触れて欲しい。

言語で表現できないものを言いたくて、作品を作ったりプロジェクトをしたりしていたのだけど、ここ最近は「言語の中の非言語性」を発見。これはコロンブスが新大陸を発見したかように、大収穫でした。新しい画材に出合ったような、自分が拡張したような感覚です。この連載でいうならば読み物として読んでもらうのではなく、飲み物として飲んでもらう。乾杯するって感じなのかも。

記事読んだよと感想をいただいたりするのだけど、「涙がでた」「泣いた」「号泣した」など水が目から溢れてしまった方が多いです。その涙のわけは、『懐かしさ』なのではないだろうか。すべてが全であったあの場の記憶、あの感覚。故郷。

たぶんね、これはたぶんなんだけど、死にたくなるって人はその時の記憶が感覚として人より強く残っているのかも。あの感覚と現在のギャップ、あの世界と現在のルールのギャップあらゆるものがあの時と違うから。

だから、「死にたい」という言葉は、いまの人にも伝わるように当てはめた言葉にしかすぎず、翻訳ミスな気がしています。水語で翻訳コンニャク使ったら本当はこうなんじゃないかな。

 

「水に戻りたい」

 

故郷に帰りたい。ようはホームシックなのかも。そういえばぼくが素敵だなと思う作家さんの作品というのはどこか、その懐かしさを思い出せてくれるものが多いような気がしてきました。創ることで故郷の景色や匂いの記憶にアクセスし、共有することで疑似的にあの世界のひとカケラをいまこの世界に滑り込ませる。海馬にはない記憶、水の中にある記憶を。つまり創るという行為は帰省なんですね。

 

だから、創作を続けよう。

もしも、いま「死にたい(水に戻りたい)」って人は、あの世界の輪郭に触れ匂いをかぎ、それをなんかしらの形にしてみてください。絵でもいいよ、音楽でもいい、文章でいい、言語ではない声、なんでも。この文章がゴクゴク飲めるあなたにならできるはずです。応援してます〜

では来週までお達者で!

Twitter &Instagram
@hideakikayano

 

 

▼あとがき
創るとは帰省である。これは面白い発見でした。みんな地元一緒だったんですね。
必要な人に届きますように。

そろそろ第1回のリンクも貼っときます〜

第1回 水きれいにしたらよかったのにね。

↓↓↓

https://nan-life24.com/post-5234-5234

 

 

\畑からのお便り/

じゃがいも掘った🥔

 

 

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