「近代」の足跡を辿る

「近代」の足跡を辿る

Series「損得を超えた誠実を求めて」

 シリーズを通して、「近代の延長」を生きる我々が先の時代に進むために、認識しておいた方がいいことを書いていきたいと思っています。全体を見た話をする相手が増えてほしいなあと思い、書くことにしました。こういった話は前提として、前を向いて語れる人が増えてきたらいいなあと思ったりしています。

 第二回は、『近代の足跡を辿る』です。第一回で紹介したように私たちは「近代の延長」を生きてきました。では、「近代」とは何だったのかについて、簡単にゆっくり考えてみたいと思います。

 「良い」とか「悪い」とか、「〇」とか「×」で、物事を語ることを辞めようという話をこれからしていきます。くれぐれもその前提を忘れずに、自分の中の勝手な思い込みで何かを「否定」したり「肯定」したりしないように気をつけて読んでもらいたいと思います。

第二話

『近代の足跡を辿る』

「近代」を形作った枠組み

 ヨーロッパでは、17世紀から18世紀にかけて、たくさんの市民革命が起こりました。市民革命は他の言い方だと、「民主主義革命」や「資本主義革命」などと言ったりもします。これは、産業の発達で市民階級の一定数の人々が豊かになり、被支配者からの脱出及び政治参加の意思を表し始め、封建的な社会を打破して、近代社会の構築を求める運動でした。

 その後、資本主義社会の成立が進み、社会契約論や自然権が誕生し、この時期は今に至る様々な概念の画期となりました。

 資本主義は、資本家と労働者の二つの関係性や、私有財産や競争といった原理が基本の構造です。人々が「カネ」や「効率」や「生産性」で物事を捉えるようになり、会社などの組織がどんどん生まれ、組織や国家を大きく強く豊かにしていくために必死になるような仕組みがたくさん生まれていきました。

 そして、その時代の啓蒙主義者たちは、近代の枠組みとなる概念をいくつも形作っていきました。例えば、私たちが今となっては当たり前のように使っている「人間」「大衆」「主体」「個人」「社会」「幸福」「国家」「自由」といった概念たちは、全てこの時期に欧州から生まれてきたものです。実はその歴史はすご~く短いのです。こういった概念たちは、現在も「近代」の構造やイデオロギーを維持していくために重要な役割を果たし続けています。

 ではこういった概念たちについて考えつつ近代の足跡を簡単に辿っていきたいと思います。

「個人」「主体」と「人間」の誕生

 まず日本において、「個人」「主体」といった言葉は江戸時代には存在しませんでした。フランス革命などの時期にルソーなどの啓蒙主義者たちが中心となって創り出した単語で、人間の本性としての自由意思の存在を示し、「個人」「主体」という考え方が生まれます。「個人」という概念を創ることで資本主義の基礎を成す「私有財産」のあり方も説明しました。これは、その後の「自己」と「他者」を切り分ける思考にも繋がっていったはずです。

 また、このあたりで、現在も使用されているような「人間」という概念も成立していきます。

 資本主義社会の中では実力や生産効率が重要となりましたから、神や国王に抱いていたイデオロギーが急激に弱まって行きました。そして、「個人」がいるが「私たちの共通部分」とは何なのか、という課題に対して「人間」というイデオロギーを使用することが盛んに行われました。「人間中心の人間のための社会を創る」という考え方は、資本主義などの根幹を成す考え方としてうまく機能しました。これも、「人間」と「その他」を切り分けることで、資本主義という構造を支える考え方としてうまく用いられたのです。

 この「個人」「主体」や「人間」などの概念を源流としてさらに多くの概念が生まれてきます。

「大衆」と「国家」の誕生

 「個人」の概念の創出に伴って、「大衆」「国家」といった概念も生まれてきます。「大衆」というのも、個別最適化された社会では微妙な定義に感じる最たるものですが、それは近代化の中では凄く滑らかに、市民社会の中に浸透していきました。「個人」が「大衆」となり一般化され、「国家」というカタチを作ります。これは、列強と対峙する日本でも特に鍵として取り入れられた考え方でした。近代化の中核を成した「富国強兵」の真の目的として語られる文の先頭に「国家」という概念が存在することで、人々が一つの目標を共有することが容易になりました。

 

「人権」「自由」「幸福」「社会」の誕生

 そして、資本主義の成立は民主主義の誕生にも繋がります。民主主義社会の下では、「個人」に付随する、「人権」「自由」「幸福」そして「社会」などといった概念が人々から必要とされました。

 資本主義の中で、金や効率、強さや豊かさが全てとなり、それらをひっくるめた「幸福」という一つのイデオロギーを誕生させることで、「意味」の付与と規定を行いました。この頃から、「幸福になること」が「人生の意味」として語られることが増えていきました。

 また、「自由」という概念の誕生は、市民革命を促進させる起爆剤となりました。他者の意思(封建的な制度)からの解放と、個人意思の尊重(自由の確保)が革命の目的でした。しかし、「自由」であることは、他者の自由との衝突が生まれます。

 そこで、「社会」という枠組みをしっかりと規定していくことで、その維持のためという名目で「自由」を規制することが可能となります。要するに「公共の福祉」と呼ばれるような感じですね。

 また、「人権」は「公共の福祉」の枠組み内での個人の「自由」の補償とも繋がります。そして、「人権」が保障されること及び「自由」であることと、「社会」が維持されることは、すなわち「幸福」に繋がると筋立てられたのです。

 このように、現在我々が当たり前のように使用しているいくつかの概念たちの源流は、欧州における産業革命と市民革命、資本主義の誕生(つまり近代)にあることが整理できました。

 これらのコトバたちが、近代社会の枠組みを形作り、今もなお我々の思想を支配し続けているのです。

 つまり、「近代」というのは、欧州の風土や文化のもとで醸成された「概念」や「思想」を枠組みとする、人間中心の資本主義社会であると捉えることができるのです。

日本の近代の足跡を辿る

明治維新と近代化

 さて、日本は江戸時代後期、列強との対峙によって開国へと道を進めることとなり、明治維新を経て、近代化へと至ることになります。

 日本が近代化を押し進めていく前に、吉田松陰や高杉晋作、西郷隆盛、橋本左内などの幕末の志士たちの中でも秀でた哲学的(文化的)知見があったとされる者たちは亡くなりました。

 薩長主導の生き残りの志士たちが主導し、「富国強兵」「殖産興業」というスローガンの下で近代化を推し進めていきました。江戸時代に育んできた高度な技術力を用いて、繊維業などを中心として大量生産大量輸出で圧倒的な速さで近代化していきました。

 その後人々の生活様式も大きく変化し、移動の範囲が大きく広がり「出稼ぎ」が増え、大衆的文化が大きく花開いていきました(文明開化)。(生活様式の変化は戦後が著しい説が強い)

 このあたりから、欧州発の様々な概念たちも日本人の生活にジワジワと入ってくることになります。

戦争への突入と教育の変化

 日露戦争での勝利まで、前近代的な日本の価値観と近代化による欧米的価値観が共生する社会構造が少なからず成り立っていたとも言われています。いや、むしろ前近代的な日本の価値観はイキイキと生きていたとも言われています。しかし、その間にも、そしてこの後から、江戸時代のエコシステムは否定され、長い年月をかけて醸成されてきた風土に合った自然観も少なからず欠損していきました。

 日露戦争以降、日本はおかしな方向へと進み始めます。第二次世界大戦の総動員の戦に至るまで、国民の「大衆化」がますます進んでいきました。

 このあたりから学校教育の教科書も大幅に変わって行きます。維新政府は、「復古」から「欧化」へと方針転換し、近代教育へと舵を取りました。日露戦争前後から森有礼文部大臣の下、国家主義的な教育が広がって行きました。そして、第二次世界大戦に突入していくにつれて、儒学や漢学といった学問は、二の次とされ、だんだんと存在感が弱まって行きました。そして、現代、私たちが使っている教科書及びカリキュラムは、近代以降に生まれてきた知見がその大半を占めており、前近代の「学問」はほぼ消えてなくなりました。

 例えば、「論語」について考えてみると、日本では3世紀か4世紀くらいから学問として学ばれてきました。明治初期に至るまで、「論語」をはじめとした「漢学」は、なんと約1500年近くも「学問」の大黒柱を務めてきたのです。一方近代化以後の教科書には、発達した「科学的」な知見が溢れ、「論語」はほんの2ページくらいしか載っていません。ですが、渋沢栄一も「論語と算盤」で綴ったように、いくら科学的知見に基づいて世界を鮮明に確実に見るようになっても、人間の真の部分は、紀元前の中国大陸の学問に集約済みだったりもするのです。

 私たち現代人が使った教科書の歴史は、そういった学問に比べると、圧倒的に短いのです。歴史が長いから良いとかそういう話ではありませんが、実際に前近代の学問に少しでも触れてみると、長い歴史には長い歴史だけの意味があるかもしれないとも思うのです。

戦後から現在に至るまで

 さて、第二次世界大戦後の日本では、戦後復興からの高度経済成長、そしてバブル期に至るまで、戦時中に培ってきた近代的な社会システムと画一化された勤勉さの威力を大きく発揮していくことになります。

 「画一化」された「大衆」は、大量生産大量消費に大きく貢献し、圧倒的な経済成長を生み出しました。しかし、バブル期以降、ソフトウェアの時代に突入し、日本の成長は頭打ちとなりました。画一化された世界から生まれてくるイノベーション(突飛な発想)も少なく、寧ろ「出る杭は打つ」社会を維持してしまいました。「KY」なんていうバカな単語が生まれたのもこれを象徴しています。

 2000年代に入り、テクノロジーはとどまることなく進化を続け、想像もできなかったような個別化された社会が実現し始めました。日本はそれを見据えて、「ゆとり教育」を取り入れて変化を図ったものの、その高尚な理念は日本中に散らばった画一化された教師たちには伝わることもなく、「失敗」としてさらに日本を追い込んでいきました。

 その間、「家族」の在り方も変化し、核家族化が急速に進行しました。また、地域社会の繋がりも急速に消えていき、祖父母世代からの「文化の継承」が途絶えました。これは現在の状況を創り出す大きな原因の一つになりました。

 このように近代社会が成熟していくうちに、日本の前近代的な自然観はほぼ消失し、いつの間にか私たちは欧州生まれの価値観に支配されるようになっていました。

 先ほど出てきた概念たちが私たちの生活や秩序の支えとなり、それを頼りに生きている人がたくさんいるのが、紛れもなく、今、です。

 しかし、第一回でも整理したように、現在日本は岐路を迎えています。今後、世界がより個別最適化された社会へと突き進んでいく中で、ディストピアな社会へと直進しているこの国が、どう変化していけばよいのかとうことについて次回からちょっぴり考えてみたいと思います。

 次回は、「日本の前近代的な自然観とは何か」というテーマで考えてみたいと思います。

 

( つ づ く )

連載 『損得を超えた誠実を求めて』

第一回 『近代を引きずる現代を見つめる』

第二回 『近代の足跡を辿る』

第三回 『日本古来の自然観の再発見』

第四回 『近代を超克せずしてどこへゆく』

第五回 『脱主観と共にある未来を』

最終回『生に帰した誠実は何処に』

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