“第1回”水きれいにしたらよかったのにね。

“第1回”水きれいにしたらよかったのにね。

はじめまして、水曜日に『水になる』を更新しますカヤノヒデアキです。

ぼくは現在徳島県にて晴耕雨読、いや、晴耕雨網。晴れれば畑を耕し雨ならばインターネットで仕事をするという生活をしています。やっていることはコロコロと変わるのですが、根っこにあるのは「拡張」です。拡張?と聞いてもピンとこないですよね。

もう少し具体的にお伝えしますと”常識の拡張” 今ある当たり前が拡がっていけば生きやすくなる人は増えるはずだと思っています。例えば、10年ほど前の常識では結婚前に子どもができるいわゆる”できちゃった婚”は良しとされていませんでした。まるで犯罪かのような勢いの価値観だったと思います。それが今では”授かり婚”とも言われ、受け入れられるようになりました。他にもLGBT。多様性だと騒がれるのもここ数年の話でひと昔前までは差別のような風当たりだったと思います。それらは10年ほどで常識を拡げてきました。その変化までの間、差別され、悩んだり、自ら命を絶ってしまった人もいるかと思います。そう考えると自殺ではなくこれらは他殺であり、凶器は時代の空気感です。こわい話しちゃってすみませんね。

でも、もしもその変化が早ければ失わなかった命もあるように思います。これまでもそうであるように、ぼくが何もしなくとも常識は勝手に拡張していく。だけどぼくがその時代の変化速度に貢献できたならばそれは喜びです。これがぼくの土の中で根っこをはる部分です。そのように考えてみると、いま本当に病んでいるのはあなたではなく、時代のほうなのかもしれません。時代を観察して、処方箋をだしていく。これは医療行為とも言えるのかもしれませんね。ぼくが医者で時代が患者。

実をいうとぼくは子どもの頃の夢は医者だったんです。その夢が手を変え品を変え医者になることを叶えている。これではまるで手品師です。ぼく自身にイリュージョンを見せられている気がしてきました。いえ、ぼくは畑で野菜を育てているので農家です。医者で手品師で農家….もうなんだかよくわからなくなってきました。

いえ、わたしは水です。

おお。ここでようやくタイトルの話につながってきましたね。この連載タイトルの「水になる」どういうことなんだろうと思っている方もいるかと思いますが、ご安心くださいぼくもそのひとりです。笑 ここに辿り着いたのはつい最近の話です。

友人と会話していた時の話。やや変な話をしますのでファンタジーだと思って聞いてください。おそらくたわいも無い会話から始まったと思うんですが、だんだんと内容が深くなりゾーンに潜っていきます。友人は言いました。「あぁ、わたし水だったんだ」この言葉を聞いた瞬間、鳥肌が立ちました。そして仕事ができたという安心感のようなものがあったんです。そしてそのあとから友人の放つバイブスが変わります。ぼくは身体が小刻みに震えはじめました。それはまるでもののけ姫のシシガミ様と対峙しているような感覚です。

注;シシガミ様と対峙したことはありません

人間離れしたバイブスだったと思います。その会話の中で「すべてのひとは水である」ということが感覚でわかっていきます。そして自殺してしまったあるアーティストの話になりました。

友人「オーバードーズで亡くなっちゃったミラーさんっているんだけど」

カヤノ「はい」

友人「彼、水きれいにしたらよかったのにね」

涙がでた。

その言葉の真意を理解できたのかはわからない。なぜ涙がでたのかわからない。けれどそのひと言はぼくの身体の奥の奥の核心に、いやぼくの身体という境界線を飛び超えて何かにアクセスにしてしまった。

あぁ、ぼくの仕事は、ひとは水であるということを思い出してもらうこと、そして水をきれいにすることなんだ。

いままで拡張のために活動してきましたが、それはぼく自身が生きづらかったからです。過去形になっていますが正確には現在進行形です。いまでも試行錯誤しています。なので全ての活動や表現はぼく自身の治療なのかもしれません。この文章を書くことが治療だとしたら今読んでくれているあなたは、ぼくのかかりつけの医者ともいえます。あなたもわたしも医者でありあなたもわたしも水なのです。

この『水になる』という連載は、ぼくなりの医療でありあなたとの対話でありじぶんとの対話であり遺書でありラブレターであり長い自己紹介であり水になるとはどういうことなのかを見つめる旅です。

つまりまとめるとまとまっていない文章です。

それでは、また来週までお達者で!

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