寄付は良いことだけではない

寄付は良いことだけではない

寄付の二面性

僕は今日、Instagramで「ケニアの人たちに野球道具を届けます!使わなくなった道具や、届けてほしいものがあれば、僕に託してください!!」という「御協力のお願い」をしました。ケニアに行き、ケニアの野球代表チームと一緒に練習をできることになったので、そこで不足している道具を持っていくのです。さて、ここで僕が、「寄付」という言葉を使わず、「御協力」という言葉を使ったのにはワケがあります。

今も昔も、学生や社会人で、海外に行き、その貧しさに同情し、金やモノの「寄付」を集めて、現地に持って行って、差し上げる、みたいな活動をする方が、よくいます。

モノをあげると、喜んでくれて、こちらも幸せな気持ちになります。しかし、国際協力の最前線で、現地の人たちと、しっかり長い時間を過ごし、寄り添い、志を持って、国際協力活動をしている方たちの多くは、口をそろえてこう言います。

「寄付は良くない」

先に言っておきたいのが、これは、「命に関すること(医療系)」以外の分野への寄付についてのお話です。

具体例を出します。学生団体が、発展途上国の田舎に、トイレを作る!というプロジェクトをして、寄付を集めて、そのお金で現地に行って、トイレを作りあげました。「トイレが無ければ不衛生な環境が生まれて感染症の蔓延要因になってしまうから」というのが根拠でした。

例えば、社会人の人が、日本で服をたくさん集めて、海外のスラムや学校に行って、配ったとします。「綺麗な服があれば、嬉しいだろうから」というのが根拠でした。

一見日本にいると、寄付や、そういう国際協力活動って、すごくいい!って思いますよね。でも、はっきり言うと、そういうのは、やらないほうがいい、最悪のエゴの押し付け活動になってしまう可能性もあるのです。

「トイレがないから、トイレを作ろう!」待ってください。現地の人は、トイレが無くてもそれまで生きていたのです。特に、多くの場所ではその場所ならではの、合理的な理由があって、外で用を足す文化が創り出された、という場合が多いです。そりゃそのせいで本当に不衛生で病気が蔓延していて困っているのなら、人助けとしてのメリットは大きいかもしれませんが。

「服がないから服をあげよう。」服をあげる活動は、現地の経済に悪影響を与えることがあります。ぼろぼろの服を着ている子供に、綺麗な服をあげて、それで満足するのは私たちの価値観ではないでしょうか?

それらの活動には「持続性」がありません。彼らが、彼ら自身で、彼らの気持ちによって、作り出したもので、彼らは彼らの社会を彼らの好きなように作らなければいけません。その手助けをするなら温かいですが、金やモノをあげることは大きなデメリットを孕む禍根を残してしまうことが多いのです。

「与える支援」は、根本的解決にはならず、支援慣れ、や、現地での取り合いや妬みを生んだり、経済を破壊する要因になったり、最悪の場合、悪い組織に利用されたりもします。

ただ、「少しでも誰かの力になりたい」という心は、とんでもなく美しいものですよね。

本当に寄付が必要な分野があります。

それは緊急を要することです。例えば「医療系」や「地球環境問題系」です。

小さい子の未来ある命を、あなたのほんの少しのお金で、救える可能性があります。そして、「地球環境問題」は、まずは寄付なんかよりも自分の行動を変えることが大切です。でも、地球環境に熱心に取り組む団体にお金を出すのは、効果が少しはあったりもします。。

それ以外の寄付を、もしする時は、その人の志にしっかりと信頼を持てる人にだけしましょう!

大切なのは感情的に行動するのではなく、自分の心をしっかりと見つめて、相手の心もしっかりと見つめて、そして向き合っていくことです。

僕の今回の野球道具の募集は、野球道具が手に入らない地域で、野球を広めるためのものです。最初は外から持ち込まないことには、0から1にするのは難しいです。本当は、「あげる」ことは全くやりたくないんですが。

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