コンプレックスに堂々と立ち入る世界線を求めて

コンプレックスに堂々と立ち入る世界線を求めて

誰しもがコンプレックスを
一つや二つ持っている。

他人のコンプレックスに
言及するのは難しい。

でも、
言及できる人が増えてほしい…。

今日はそんなことについて書きます。

「これ言ったらまずいかなぁ…」

言葉は、時に人を大きく傷つけてしまう刃となります。

と、いうことについて、私たちはよーく知っています。

たいていの人たちは、小さい頃から、ちょっとした言葉の選択ミスで他人を傷つける経験を何度も何度もしてきました。

例えば、頭にフケがついている人に、「フケが出てるよ」と言ったとします。

もし言った側に悪気はなくても、言われた側はとても傷ついてしまうかもしれません。そうすると、「相手が気にしていることを言ってしまった…。気を付けよう…。」と思います。また、この例えを聞いて、「そもそもそんな人が傷つくこと私は言いませんよ。」と思う人も多いかもしれません。

私たちは、こうした経験のおかげで、他人に対して、「言っていいこと」と「言ってはいけないこと(言わない方が良いこと)」の区別を付けられるようになります。それは、とても大事なことなのですが、

しかし、そこで、私たちは大きな落とし物をしてしまうのです。

落とし物とは何だったのか

さて、その落とし物とは、何でしょうか。

あなたは、

こんな経験をしたことはありますか?

誰かに、勇気を振り絞って、自分の「コンプレックス(気にしていること)」を告白したとき、「え?素敵過ぎる…。」と目を輝かされたこと。

これを経験したことがない人は、意外と多いのかもしれません。

実は先ほどの例で出てきた「フケが出る人」は、僕です。

僕は乾燥肌で、乾燥するとフケが出ます。酷い時は本当にたくさん出てしまいます。それを僕は小学6年生の頃から気にし始めました。

周りに「フケが出てる!気持ちわるっ!」といじめられている人がいたので、僕は必死に隠したかったのです。

僕は物心ついてから高校で野球を引退するまでずーーっと坊主でした。坊主というのは悲しいことに、とにかくみんなに頭を触られます。そうなのです。フケというのは触られれば触られるほど、頭皮から浮いてきて、目に見えるようになります。なので、僕は中学生時代から人に頭を触られないように、誰かが頭に手を伸ばして来たらサッと避けるようになりました。ボクサー並みの瞬発力で。

さて、そんな僕は、ある日こんなことを言う人に出会います。

その人は、なんと、

「フケを探したい。楽しい。」

と言いながら、本当い楽しそうに僕の頭を触り始めるのです。

なんだこの人は!?「フケは汚いと思われる」と思っていた僕は、衝撃を受けました。(ちなみにフケは全く汚いものではありません。)

僕は、それ以後、フケが出ることの後ろめたさを感じなくなりました。

そう、

この友人は、私たちが落とした落とし物を、落とさずに持ち続けていたのです。

愛するということ

私たちは、知らず知らずのうちに、人を傷つけてしまうことは言わないように気を付けています。

それはつまり、相手の「コンプレックス(気にしていること)」かもしれないことについてはあえて言及せず、無難に過ごしていくことが良い、という考え方に繋がります。

そんなことを思うあなたは、世間で「汚い」と言われる「フケ」を「汚いんだ」と思い込むかもしれません。なのでフケが出てる人と話す時、フケについては触れないようにするでしょう。それが良いのだと思うでしょう。

しかし、それは平和ボケの極み。

相手の身体的特徴や、個性に、自分の感性をもってして向き合わなければいけない。

世間で「かわいい」と言われる人を「かわいい」と思う必要なんてないし、世間で「汚い」と言われるものを「汚い」と思う必要なんてないんです。

あなたが、もしも、自分の感性をもとに、誰かの個性や特徴を愛せるのなら、その人がその個性や特徴に引け目を感じていようが、感じていまいが、あなたは、悠々とその個性や特徴を愛してやればいい。

愛を、伝えてやればいいのです。

相手がバカにされていると思う範囲さえも超えるほど素直に愛してやればいいのです。


そうすると、この世界にたったの一人でも、自分の「コンプレックス(気にしていること)」を愛してくれる人がいるのだと、気が付けます。

それがどれほどの希望か。それがどれほどの温もりか。

美しきものを美しいと言うために

ここで大事にしなければいけないことがあります。

なんでもかんでも、相手の「コンプレックス(気にしていること)」を何も気にせず言及したらいい、ということではありません。

大事にしなければいけないことその一

自分の感性をもとにすること

「誰かがこういうのは素晴らしいって言ってたから」とか、「誰かと比べたらいい方だよ」とか、他人の感性に基づいて、相手の「コンプレックス(気にしていること)」に言及してしまうと、あまりいい結果にはならないと思います。

あなたは、あなたが「美しい」と思うものを、「美しい」と言わなければいけない。

それを絶対に忘れてはいけない。

もしも自分が「美しい」と感じることが無いのなら、あなたは自分の感性を破壊してしまったのかもしれません。それは、徐々に徐々にでも、取り戻せるはずです。まずはそこから始めなければいけません。

大事にしなければいけないことその二

同情であってはならない

その人が「かわいそうだから」なんて理由で、愛しているかのようにふるまってはいけません。ウザいです。

相手の周りの環境が、全部なくなったとしても、その個性や特徴を愛せるかは、とても重要です。

あなたが、もしもそれができないのなら、それは一時的に愛しているにすぎません。だいたいあなたが本当に愛してくれていないことは、伝わってしまいます。ましてや、演技がうまく、愛していると言えたとて、相手があなたが本当に愛していなかったことを知ったら、どれほど苦しむでしょうか。

即刻そんな演技はやめなさい。

そもそも愛せない人へ

しかし、そうはいっても、自分の感性が大衆的美徳に汚染されて破壊されてしまった人や、洗脳のように誰かの感性が自分の感性を飲み込んでしまった人も、この社会にはたくさんいます。いや、むしろそういう人ばかりです。

それは、社会構造がそうしているので仕方ありません。

そんな自分の感性が欠落した人は、どう頑張っても、そこから抜け出せないかもしれません。

それはつまり、誰かの個性や特徴を、自分の感性をもとに、ただひたすらに愛せないということです。

そういう人は、たしかに誰かの「コンプレックス(気にしていること)」に言及しない方がまだましなのかもしれません。

しかし、個性や特徴が多様であることは、種の生存戦略的に、とてつもなく貴重で大切であるという根本のところから勉強しなおせば、あなたは目の前の一つ一つの「命」と向き合えるようになるかもしれません。

するといつのまにか、いままで「美しい」と思えなかったものが、「美しい」と感じられるようになるかもしれませんし、「愛しい」と思えなかったものが、「愛しい」と思えるようになるかもしれません。

この記事の最初に出てきた「言葉」は一つのキーワードです。まずは自分が使っている一つ一つの「言葉」の意味を自分なりに見つめ直すところから始めると、少しずつ変わって行くと、僕は思います。

多様であること、消えていくこと

さあ、そろそろ分かってきたのではないでしょうか。

コンプレックスとは、ある一つの視点から見て、何かより劣っていると感じるときに生じるものなのです。
(現代では、「みんなと違う」個性や特徴がコンプレックスになりやすいです。)

しかし、コンプレックスなどというものは、視点を変えれば、「愛しいもの」に簡単に変化します。

私たちは、本当はみんな違います。

私たちは、徹底的に多様です。

ということは、みんな違う視点(感性)を持っているはずだし、それはつまり、それぞれが愛しいと思うものに、ちゃんと愛しいと伝えれば、コンプレックスなどというものは簡単に相殺されていくということなのです。

美意識が多様であり続けることができるなら、あなたはあなたの「美」や「愛」で誰かを守ってあげることができるのです。

前提として多様なので、「美」の押し付けでも、「愛」の押し付けでもないのです。

相手が気にしていることでも、
相手が引け目を感じていることであっても、
それが世間でバカにされるようなことでも、
もしもあなたが「愛しい」と思えるなら、
「愛しい」と伝えてみてください。

あなたはあなたの「美」や「愛」で、
誰かを守ることが、できるのです。

 

( お わ り )

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