環境と「考える」×「生きる」 対談#1-2

環境と「考える」×「生きる」 対談#1-2

Profile「原 貫太」
職業:
フリーランス国際協力師
経歴:フィリピンで物乞いをする少女と出会ったことをきっかけに、学生時代から国際協力の仕事を始める。在学中NPO法人コンフロントワールドを設立。大学卒業後、適応障害を発症し半年間の闘病生活を経てフリーランスとして国際協力活動を再開。現在はウガンダ北東部で女子児童に対する生理用品支援などに従事している。

あの人は何を感じ、何を想い、どう言葉を紡ぐのか。対談企画の第一回は、国際協力と発信と無所属を掛け合わせ、「世界の不条理を無くしたい」と願い生きる原貫太さんにお話を伺いました。その内容を南大樹が二回に分けてお送りします。第二話は、「環境と『考える』×『生きる』」です。

目次
第一話
YouTubeでの発信について
「優しさ」が生む思考停止
第二話
「生きている」と感じる瞬間
日本と世界の「考える」
「目の前の愛」の大切さ

 

「生きている」と感じる瞬間

 南
———

すごい抽象的な話になっちゃうんですけど、原さんはこれまで色んな場所で生きてる人を見てこられたと思うんですが、原さん自身が「生きているなぁ」と実感する時ってのは、どんな時ですか?

 原
———

あ〜。これね、実は最近考えることがあってね。

やっぱり、「世界と繋がってることを感じられるとき」かな。

アドラー心理学的な言葉を使うと、「共同体感覚」が自分の中に芽生えてる時というか、所属感を得られてる時みたいな、そういった時は生きてるなって感じますね。

 南
———

あ〜繋がってる時かぁ、、なるほど。

 原
———

うーんと、実は今メンタルのコーチングみたいのを定期的に受けていて、そのコーチの人とも話したんだけど、僕がなぜ「情報発信」に力を入れているか、その根源的な部分に何があるのかなって原体験を遡ったのね。

例えば現地でストリートチルドレンを見たりとか、元子供兵を見たりとか、その現場の本当に悲惨な状況を見て、世界にはこんなにいろんな問題があるんだとショックを受ける、で、そのことを伝えようと必死でしてるけど、でもちょっとタイムラインを眺めていたら、同じ年代の大学生が遊び呆けてる写真とかをアップしてて、別にそれを否定するつもりはないけど、なんで世界ってこんなにアンバランスなんだろう、どうすればこの世界の不条理を伝えられるんだろう、ってすごくモヤモヤした無力感に苦しめられる感覚があって、、、。

でも、僕はこういった世界の不条理に気づけたし、今自分はこの世界の不条理に立ち向かっていくんだっていう、一種のワクワク感みたいのはすごく感じていて、で、そんな風に感覚的に「大きな世界」を知った時というか、「大きな世界」に放り出された時というか、その時のその感覚っていうのがすごく言葉で表せないほどの高揚感を自分に持たせてくれている。

なんかたぶんそういった根源的な気持ちってのが今の情報発信に繋がってるんじゃないかなって思っていますね。

 南
———

あ~その感じすごくわかります、、、でもそこで諦めないところがすごい。

 原
———

そういったことを考えている時って、「世界との繋がり」というか、「本当の世界を知れた」というか、なんかそういう時は、「あ、自分は生きてるな」ってすごい感じるし、現地でもそういったことを意識しながら、音楽を聴いて黄昏たりしつつ、現地で起きていることとかを伝えようと色々と考えを巡らせている瞬間っていうのは、自分の中で「あ〜生きてるなぁ」って感覚にはなってたかな。

日本と世界の「考える」

 南
———

「生きる」の次に、「考える」というテーマで聞きたいんですけど、「考える」っていうことを、辞めてる人が多いって日本にいると、日本の人たちを見て思ってしまうことが多々あるんですけど、いろんな世界を見てる原さん的には、日本人は、世界の中では比較的「考える」民族なんですかね〜。

 原
———

ん〜。ちなみにさ、南くんはどんな時に日本人は考えてないって感じるの?

 南
———

それこそ、こないだ思ったすごいちっちゃい事なんですけど、僕らなんで小学校の頃、「跳び箱」やらされたんだろうっていう、、、

 原
———

あ〜!うんうん。

 南
———

でもこれを考えたことない人ってたぶんいっぱいいると思うんですけど、そういう小さいことをいっぱい考えてないというか。その人たちを否定してるわけではないけども、なんだかな〜と思う時があって、でも世界的に見てみたら、それでもまだ日本人は考える方なのかなって思ったりもして、、。アフリカの出会った人たちを見てて、「考えてない」ようには僕は思わなかったんで、どうなのかな〜って。

 原
———

うん。まず、前提として、僕も同じようなことは正直結構感じますね。

なんかアフリカで働いてるNGO職員の方も同じこと言ってたね。アフリカから日本に帰ると、日本人全員全体がなんかおっきなシステムの中に組み込まれているように見えてしまうみたいな。

具体的な話をすれば、朝の品川駅とか、満員電車からぞろぞろ降りて会社に向かっていく人の流れとか、ある意味ああいうのもちょっと視点を変えれば、すごく大きなシステムの中に組み込まれている人たちに見えてしまうと思うんだよね。

で、まずアフリカにいる時は、あんまりそういうことを感じない。彼らがどういう風に考えているかっていうのは正直分からないけど、でも、みんなやっぱり明日生きることに、良くも悪くも精一杯な人達が多いので、、、。

それは、生活が厳しいから明日生きるのが精一杯という悪い意味でもあるし、あとはほんとに現地の人たちって、特に田舎の方とかに行くと、一日一日その瞬間その瞬間を大事に生きてるような感覚になることもあるんだよね。

なんかその一方で、日本の人たちや近代化が進んだ社会って、将来のリスク的な予測が、あながち難しいんじゃないかなっていうのは思うかな。すごく複雑な社会に生かされているからこそ、明日どうすればいいかっていうことよりも、一年後、三年後とかをみんなどうしても考えてしまうし、でもそういったことって、そんな簡単に答えが見つかることでもないんだよね。

で、結局、答えが見つからないってことは、敷かれたレールをみんな探してしまうから。

高校二年生とか高校三年生とか将来の進路を考える時とかに、「明日どう生きるか」ってのを考えなくても普通に生きていけるけど、「一年後どうするか」とか「二年後どうするか」ってのをみんながどうしても考えなきゃいけなくて、、、。

でもそういうことって要因が様々あって複雑だからこそ、考えるにも考えられないんだよね。

そうするとどうするかって言うと、もう考えるのは難しいから、みんなレールの上を歩こうとするっていう、、、。

だから結果的に考えない人が多くなってしまうんじゃないかなって、なんかそれがけっこう大きな原因なのかなって。社会自体の違いにも原因があるのかなって思うかな。

あとは、ちょっと陰謀論ぽくなってしまうけど、考えさせないように社会が作られているというか、今の世界を牛耳ってる人たちが、既得権益を抑え続けるためには、今の国民がバカであり続ければあり続けるほど、得をするわけで、まあそういうのは、ね、GHQの戦後の3S政策とか思い返せば、そういうのも決して陰謀論じゃなく事実で、日本人を考えさせない民族にするための政策が昔から行われてるっていうことは言われてるので、そういう社会を支配してる人間たちが、考えさせないような仕組みにしてるってのもある意味あるかなって思うけど。

「目の前の愛」の大切さ

 南
———

最後もっと抽象的な話になるんですけど、なんかこう国際協力であったり、なんでもそうなんですけど、やっぱり目の前の人をちゃんと愛していく、っていうのがスタートラインだと思うんですけど、活動をされてる中で、「愛する」ことについてなんかこう思うことってありますか?

 原
———

すごい大きな質問来たね。ちなみになんで南くんは、目の前の人を愛することがスタートラインだと思うの?

 南
———

結局原さんが発信されてるのとかも、見てる人がいろんな話を聞いて、で、自分自身の「目の前の人」の範囲が広がるのが、1番大事だなと思うんですけど、そこが広がらない限り、「アフリカの人がかわいそうだな」って思っても、「手触り感のある心」は入ってないっていうか、そんなことになると思うんですね。

結局行かなきゃいけないし、聞かなきゃいけないし、見なきゃいけない、ってのはあると思うんですよ。

で、その時に存在するのかも分からない遠くの人を愛してても、何も始まらないというか、そもそも知らない人を愛せないというか、というのはあって、やっぱり「愛する」というのを「目の前の人」からスタートしないと、それができないと、なにをやってもフワッとなっちゃうなって思うんですよね。そしてそれを広げることがきっと大切なのではと。

 原
———

うん。うん。まさにその通りだと思いますよ。

なんかその、「愛」とかいったん置いといても、まあシンプルに結局その自分が今いる場所で、やれることしか結局なくて、結局自分の影響力の範囲内のことだけに集中して生きていくしかないんだよね。

僕はYouTubeで凄く大きな世界の話をしていて、まあ人によっては、あれをわかりやすいとか面白いとは言ってくれる人もいるけれど、一方でやっぱり「どこか遠くの世界の出来事」で終わってしまう人もいて、、、。

 南
———

あ~!

 原
———

それは、全く興味が無いからそうなるんじゃなくて、興味があってもそれで終わってしまう人たちがいて、で、とはいえそれは仕方なくて、結局、いくらその世界のことを知ったところで、自分ができることって、自分の影響力の範囲内のことだけで、自分の影響力の範囲内っていうと、ほんと目の前の人とか、日々の仕事を通じて目の前の人と関わるということしかできないわけじゃない。それは家族でもそうだし、友達でもそうだし。

 南
———

そうですよね、、。

 原
———

ほんと、最近になって、“Think globally ,act
localy.”
の言葉の意味が、すごくよく分かる。

僕はYouTubeとかで世界のこととか伝えてるけど、でも世界のこととか勿論考えるのは大事だし、自分がその広い世界の中でどう生きていくのかっていう自分の役割を考えるべきだし、僕はそういったところに世界との繋がりを感じて生きてるなって感じるわけなんだけど、結局自分の影響力の範囲内のことしか、自分は関われないからさ。

もう“Act localy”で、目の前の人を変えていくと、目の前の仕事をやるっていう、ほんとそれしかないなっていうのは、最近ほんと凄く思うかな。

 南
———

どんなことでもそうですよね。

 原
———

それはアフリカいってる時もそうだよ。

ウガンダで田舎の方で支援活動とかしてても、大きな視点で考えてる人間だからこそ、そういう場所に足を運んでるわけなんだけど、結局やってることは地元の人たちの支援でしかなくて、結局ほんとにそれしかできないから、うん。

だから「夢」を語るとか、大きな話をするのはすごく大事だけど、結局やることは自分の日々の仕事をね、大事にするってことぐらいしかできないのかなって、思いますね。

 南
———

そうですよね。

あっ、もう時間になってしまった!

もっともっと踏み込んで聞きたいですが、色々聞けてよかったです。

 原
———

僕も久しぶりにこういう抽象的な話が出来て面白かったです。

 南
———

また良かったら第2弾ももっと踏み込んでお願いします。

 原
———

はい、ぜひ!

 南
———

ありがとうございました。

 

(続編を乞うご期待)

 

原貫太さん
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