どうも。僕はキングコング西野さんのかなりのファンなのですが、『えんとつ町のプペル』の主題歌のピアノバージョンが読書のBGMに最高過ぎて、何度もリピートさせて聞いているなんくんです。それに何を隠そう、僕の今の絵本制作も西野さんからかなり学んでいます。
さて、僕は今、ある小学校高学年の子の家庭教師をしています。個人情報を出してはいけないので、詳しくは言いませんが、ちょっとそこでのお話をここに書きたいと思います。教えているというよりも、僕は彼からたくさんのことを学んでいます。いつか彼が大きくなった時に、この記事を読んで、答え合わせをしてくれたらいいなと思います。
彼は、ある時から、学校の勉強についていけなくなって、宿題もできなくなってしまい、学校に行くのがイヤになってしまいました。休みがちになってたまに行こうとしても、涙を流しながら学校に通っていたそうです。
彼は僕にこう言います。
「つまんない話を6時間もジッと座って聞いてるのが苦手なんだ。」
至極真っ当な意見です。それをできる人が「偉い」「普通」とされる社会が、わたしが、そしてあなたが生きてる、この社会です。(まあ時代は変わるけどね)
勿論生徒に楽しいと思ってもらえるようにと、工夫や努力を重ねている先生もたくさんいるでしょうし、それが多数であることを願います。でもね、カリキュラム通りに進めようと思ったら、つまらなくなるんだよ。もう間違いなくつまらなくなるんだよ、今の日本教育は。まだそれを分かってない頭の固い大人たちが社会にたくさんいる中で、彼はそれをちゃんと見抜いているのです。
僕は彼に、「それは、本当に凄いことなんだよ」と丁寧に教えてあげました。
「でも…」と反論してくるあなたに言います。そうやって正当化するのはもうやめてください。そうやって変化を恐れて、未来を見ようとせずに、全否定をされてる感覚を持ってしまう大人たち、あんたらが、正当化を続ければ続けるほど、時代に合わないことに苦痛を覚える素直で可能性に溢れた子供たちが、涙を流してんだよ。
ちなみに、彼の先生は、宿題をできなくなった彼を想って、彼には宿題を出さないようにしてくれたそうですが、一見優しそうで、それは一番やってはいけない教育だと僕は思っています。
僕は、毎授業終了後に、彼に宿題を出します。内容はいつも同じです。
「なんでだろうと思ったことを10コ以上、楽しかったこと面白かったことを10コ以上、次僕が来たときに教えてください。」
楽しい、面白いと思える幅を広げることは、これから長く生きていく中で、とても大切になる基礎的な素養だと思っています。ですが、メインはもう一つの方です。
「なんでだろう」
彼は、一番最初の授業の時に、僕に、こう言いました。
「なんで学校ってあるの?」
「なんで勉強しなくちゃいけないの?」
「なんで生きてるの?」
ここで僕がそれになんと答えたか具体的なことは、言いませんが(後々言うかも)、一つだけ。こう言いました。
「それをなんでだろうと思えることは、本当に凄いことなんだよ。」と。
彼は、「勉強がちょっぴり苦手かも」という苦悩があり、それによって、周りの人が味わっていないような「苦しみ」を、「悲しみ」を、「辛さ」を味わってきました。彼は、苦しんだおかげで、こんな凄いことに気が付きました。
「なんで学校ってあるの?」
「なんで勉強しなくちゃいけないの?」
「なんで生きてるの?」
これはね、彼が「苦しんだ」ことによって手に入れたかけがえのない宝物のような疑問です。ここに本質はあります。「20+30=?」という問いに本質は隠れていません。彼は辛い思いをしたから、だから、この本質的なところに、目を向ける力を手に入れたのです。
これは、本当に凄いことです。
大人でもわかってない人が多いけど、これは本当に、凄いことなんです。
でも、だからこそ、彼にはまだ、もっともっと、「なんでだろう」と思う力がついてほしいと思っています。
勉強なんて、「なんでだろう」と思う前にやったら、苦痛ですよ。特に苦手な子にとってはね。
だから僕は、彼に「なんでだろう」と人の何倍も考える力が付けば、自ずと自分から“学び”に向かい、そしてそれが楽しくなっていくと思っています。
まず身に付けるべきは、漢字でも、算数でも、ジッと座って人の話を聞く忍耐力でも、なんでもなく、「なんでだろう」を発見する力だと思います。
そして、彼はもうすでに、見事な「なんでだろう」をいくつも発見しています。
先日、彼が国語のドリルを解いていました。
一問目の回答欄には薄く既に答えが書かれていて、なぞる方式になっていました。
彼は、丁寧に、それをなぞっていました。
僕は彼に聞きました。
「これって、なんでなぞるんだと思う?」
彼は悩んだ末に、こう答えました。
「わかんない」
そう。それこそ正しい答えなのです。このドリルを作った業者の人の気持ちも僕は分かります。一問目は答えを書いとくことで答えはこうなるんだよと、答えの導き方を考えさせたいのだと思います。それはすごくいいことです。でも、「なぞる」必要はあるんでしょうか。
はい。ありません。
彼にはこう言いました。「この問題が、なんでこの答えになったのか分かったら、こういうのは別になぞらなくていいんだよ。もちろんなぞりたかったらなぞってもいいんだけどね!」
みんななぞります。僕もなぞらなくて先生に怒られたから思考停止してなぞってました。
これが、今の近代教育の「悪」の一つです。
彼がもっともっと、「なんでだろう」と考えて、学び、自分なりの解を作って行けるようになることを応援します。
これを呼んでいるあなたも、「なんとなく」その答えをなぞっていたら、もうそれは不正解だよ。