あ、そういえば、休学します。

あ、そういえば、休学します。

おもろくて仕方ないということ。

2019年4月から一年間、大学へ行き、大学というものを肌で感じた。

この一年間は、失望の連続でもあった。

期待する方がバカなのだけれど、俺は、ここにいてはいけないと、強く感じた。

大学の教授は研究して、1000万近くのお給料をもらっている。「授業なんて適当にやっても食っていける」という教授が多い。そんな人間が“本気”を出すだろうか。無論一概には言えないけどね、“本気”で教えてくれない人の話を“本気”で聞きに行くのは、僕には限界があった。周りも“本気”で生きてる人間が少ない中で、“本気”で何かしようと思っても、厳しかった。つまり僕はこの一年間“本気”がクソほど足りてなかった。だが、確実に素晴らしい一年だったことも間違いない。

大学に入る意味は、ゼミだとも感じた。理系の学生は多くが一年からゼミに参加し、研究調査ディスカッション自主学習発表を行っていく。これが大学の醍醐味だとも思う。文系はなぜか遅い。僕の学部は3年からだ。だが学ぶ熱意さえあればゼミなんて1年からでも絶対入れた。これは完全にミスった。専門科目を学んでも、なんかワクワクもしなければドキドキもしない。実用性がないからだ。だが確実に素晴らしい一年だったということは間違いない。

他人のせいにするなと言うのは、ごもっともだ。そうだ全て自分が原因だ。だが、僕が今言ったのは紛れもない“事実”であることも確かだ。

そして確実に言えることが、「ここにいたから世界は変えられた」はあり得ないということだ。ここにいなくても、いや、ここにいない方が、世界は変えられる。ここにいるべきじゃない。という確信がある。

一方、だからどうするかという問題があった。

一年間、考え続けてきた。

親が、懸命に働き、そのお金で、ありがたいことに大学へ行かせてもらっているということを、一年間忘れたことはなかった。本当に自分が“本気”を出せることじゃないことに、そのお金を費やしてしまってよいのか、悩み考え続けた。

「ビジョンさえ明確に見えれば」という葛藤を持ち続けてきた。

そして、

ビジョンが見えた。

だから、実行するだけだ。

「大学は出といたほうがいいぞ。」

「大卒はしといたほうがいい。」

「その後絶対有利になるぞ。」

これらの意見については、冷静に、深く深く、真剣に考えた上なので、まあそれでも、この選択が正しいかどうかなんて、後々示すしかないんで、僕はもう“本気”を出す以外に道は無いのである。

あるいはそういう人間を説得する必要はないのだが、まあ一応納得してもらおうと思うならば、一年後、二年後、三年後に、大学に普通に通ってた人よりも勉強してきたというのは、はっきり言って前提だ。そのうえでやりたいことはのってくる。これをやらんやつは、のち何も語れない。

一つ確実に言えることは、ここから、もっと面白くなる、ということだ。

休学して選択肢として一応大学は残していく。国公立は休学がタダだから、休学にしない手はない。

ビジョンを語りすぎるやつは成功しない気もするので、語るのは控えるが、

一つ確実に言えることは、

ここから、もっと面白くなる

ということだ。

「そういうことを決断できるのがすごい」とか言われるが、んなもん微塵も凄くない。大事なのは、ここから、どれだけ、“本気”で生きられるかだ。

これがどうなるか分かるのは、一年後。

ビジョンが少し形になるのは、二年後。

面白くて仕方ないのは、人生。

分かりやすく言うと

上記は自分に向けて書きました。

この一年は、とんでもなく分かりやすい一言で言うと、「構想の具体性明確化と仲間確保と自己投資」です。

身が自由なため、どんどんばんばん呼ばれたら飛んで行きます。迷惑を恐れず、世界中から呼んでください。是非気にかけてやってください…。

(なんかウザい文章を書いてしまった…)

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