本当に100年後を想うなら、マスクはするべきか

本当に100年後を想うなら、マスクはするべきか

どうも!本当は一個前の記事の続編(『人間』だとかなんだとか)を書こうと思っていたのですが、ちょっと先に書きたいことができたのでそれは次に回します。

ここ数カ月、感じていたことではあるのですが、大きくて長~い視野で活動に取り組んでいるはずの環境活動をする人が、欠けた視野で声をあげる様子をよく見ることがあるので、それについて今日は書きたいと思います。

1.0『圧倒的盲目からの脱出』

まず、このwithコロナの世界で、多くの飲食店や中小零細企業が厳しい状況へと追い込まれてしまっています。そんな中、政府からの補助金が間に合わず、潰れるお店も増え続けています(参照1)。なんとか赤字でも繰り越して耐え忍んでいるところも多く、悲鳴があちこちから聞こえている状態です。

新型コロナウイルス関連倒産の累計発生件数推移

苦学生(お金に余裕のない大学生)が休学・退学を余儀なくされるケースの増加がかなり取りざたされますが、加えて、小学生・中学生・高校生・大学生などの精神状態の悪化も懸念され始めています。ある調査では、小学生の15%、中学生の24%、高校生の30%に、中等度以上のうつの症状がみられるという状況です。(参照2)

自殺者の数も例年より多くなるなど、コロナでの自粛疲れ等も問題視されています。(参照3)(参照4)

赤が令和2年

このように、コロナの死者数(参照5)よりも、自殺者の方が多かったり、2100年にこれだけ騒がれてるコロナよりも、気候変動のせいで多くの人が死ぬ世界が来ることは、既に予想されていることです。

環境省『2100年の天気予報(夏)』では、2100年の一年間で1万5千人以上が熱ストレスで死亡する世界線が来ると予想している。(ちなみにコロナの日本の死者数は2020年からの1年間で約7000人弱)

さて、これらの事実に加えて、環境問題はもっと深刻な危機(食糧危機や災害多発化など)をもたらすでしょう。新型コロナウイルスは、インフルエンザのように残っていくでしょうし、今後も地球では環境破壊が続くことが予想されているので、新たなウイルスの発生なども容易に想像ができます。

日本の一人当たりのCO2排出量が仮に現在の半分になったとしても、地球の森が吸収できるのはせいぜい50億人程度とされていますし、喫緊で環境問題に取り組まなければいけないのは明白です。

ここまでのことさえも、全く興味のない人もいますが、これらは紛れもなく今私たちが生きている社会で起きている事実です。

次は、あなたやあなたの周りの人が、精神を病んでしまうかもしれないし、コロナで亡くなってしまうかもしれません。目を向けないのもたいがいにしないと、悲しい世界を創る加害者になってしまいます。

2.0『100年後を見て啓蒙に励む』

そんな現状を考えれば、日本の人口が減っていくことは全く悲観的なことではなく、自然な流れであると考えらえれます。

そんな流れを見た上で、こういう意見が表れ始めます。

・このコロナ渦を人口調整期間と捉えることもできるし、免疫の弱い人から死んでいくだけだから自然の摂理であって、そう抵抗することでもないのではないか。

・コロナから免疫の弱い人を守るよりも、お店が潰れたり、自殺者が増えたり、こどもが鬱になったりする方が問題なのではないか。

・人はいつか必ず死ぬのであって、がんで死のうが、コロナで死のうが、それは寿命に過ぎないんだから、そんな特別扱いする必要もないのではないか。

などなどです。

そしてこういった主張を始めます。

・今、本当に取り組むべきは、「コロナ自粛」ではなく、みんなにもっと環境問題のことを知ってもらったり、自殺者が増えている現状や、倒産の数などを知ってもらうための活動なんじゃないか。

・そして、政府はもっと予算を出して、助成金や補助金、給付金を増やすべきなんじゃないか。減税さえも考えるべきだ。

・そのためには、科学的根拠の乏しいマスクなんて必ずしもする必要もないし、自粛なんてせずにコロナ前をノーマルとして生活していけばいいはずだ。

・ワクチンなんて効くかどうかも分からんものを別に打たないわ。かかっても自分は死なないんでね。

・こどもなんて持病がない限りうつっても風邪みたいなもんなんだから、こどもの環境は今まで通り開放してやればいいじゃないか。

・高齢者や持病のある人たちは死ぬのがイヤなら自分の身は自分で守ればいいじゃないか。

などなどと、一見「過激派」のような主張を展開し始めます。

まず、こういった思想に関して、なんら「悪」ではないということは、共通認識として持っておきたいです。いや、もしくは、この人たちの方が、何も考えずに同調圧力の中で「自粛」に励んでいる人よりは、なにぶん人類を含め、より多くの生命に「優しい」のかもしれないとも言えます。

言葉は悪いですが、社会から引退してあとは余生を過ごすだけの高齢者の「生き延び」に一生懸命になるよりも、100年後の未来を考えて啓蒙活動に取り組んでいるのだから、よっぽど「優しい」のかもしれない、という話です。

3.0『全体を見て、現実に絶望し、受け入れる』

しかし、その「優しい」人たちの主張は、本当に全体を見て現実的に最も有効な行動をしていると言えるのでしょうか。

【死が怖い人の方が、大半であること】

まず、コロナの感染症のリスクから考えましょう。

新型コロナウイルスで自粛が必要な理由としては、「医療崩壊を起こさないため」というのが大きくあります。アメリカのように、経済を開放して対策が遅れた結果、甚大な被害をもたらした国もあります。(参照7)48万人が亡くなっています。日本では未だなんとか医療崩壊を起こしていないので、死者数が大幅には増えていません。医療崩壊を起こすと、コロナ以外の死者数も大幅に増加するとされています。医療機関が正常に動かなくなるため、そんな時に万が一災害などが起これば、とんでもない被害がでることは自明のことです。

これに対し、先ほどの「優しい」人たちはこう言うかもしれません。

「まず、アメリカは死亡率が高いでしょ。肥満率などの健康指数がかなり要因としてあげられていて、免疫の弱くなる生活をして生きてきたら、そりゃ死にますよって話でしょ?だから健康について問い直されるのが本当で、不摂生な人達の為にみんなが我慢して鬱になる世界の方がディストピアだわ。医療崩壊が起きるにしても、結局寿命は寿命だから仕方ないと割り切る方がいいんじゃない?」

なんとも筋の通った話です。いわゆる「正論」ですね。無論このように「死」としっかりと向き合い、それでもできることをしようと頑張っている人たちは、非常に強く、そして、「優しい」と思います。

しかし!この「優しい」人たちが見えていない点というと、「現実」です。

「現実」として、そういう人たちのように、いつ死んでもいいように生きてきた人は少ないです。周りの人が死んでも、「ああ寿命だったんだな。」と涙を噛み締めながらも、割り切れる人は、ほとんどいません。

みんな、死ぬのが怖いです。自分のせいで人が死ぬのも、とても怖いです。自分の親や、お爺ちゃんやお祖母ちゃんが死ぬのも、とっても怖いです。そして、医療崩壊を起こして、病院が正常に使えなくなる事態も、とっても怖いです。

マスクをしなければそんな人たちを不安にさせてしまうし、社会のたくさんの割合を占める高齢者からも敵のように見られてしまいます。

これが全てです。

「高齢者は死ねばいい」っていくら言ったって、現実的にそんなのは「ありえない」のですから、本当に前向きに進みたいならその現実を受け入れる方が現実的と言えるでしょう。

こういう人が大半の世界であることに、「優しい」人たちはもっと絶望し、そして受け入れ、それでも尚、向き合う必要があるのではないでしょうか。

【「優しい」人が「大衆」となる時】

さて、次に、政府に声をあげる人たちの「大衆化」についてです。

「優しい」人たちは、政府に対して、もっと予算を使って100年後を見据えて有意義なものに充てることを主張します。しかし、先ほどと同じように、この「優しい」人たちは、自分たちの理想を語るだけで、「死ぬ奴らは死ねばいい」とその人たちのことを考えることを辞めてしまうことがあります。これが、「優しい」人たちが「」付きの「優しい」人である所以です。

そりゃバカな代議士や官僚はたくさんいるでしょうが、実は思っているよりも内部は冷静に動いていると僕は思っています。

「減税をしろ!」とか、「もっとじゃぶじゃぶ補助金出せ!」と叫ぶ人たちは、国の財政事情をどこまで専門的に勉強し、その言葉を発しているでしょうか。

何も興味を示さない無責任な人よりかは、理想の押し付けであっても政策提言をできる人の方が「優しい」でしょう。それに政治家や官僚の仕事が、そういった「理想」を「現実」と折り合いをつけながら実現させていくのが仕事だとするなら、「大衆」としてしっかりとした役割を果たしていることになります。それに目下、今の緊急事態のような時は、政府も予算をしっかり支出して国民を支えていくべきでしょう。

しかし、現実そういう「優しい」人に対して、

「日本はたくさん借金があるけど、そんなに何も考えず理想を押し付けても大丈夫なの?それは本当に将来世代の為になるの?」と聞くと、その多くが

「日本は国内で借金してるだけだから破綻することとかないし、大丈夫なんだよ!」と答えるように思います。

しかし市場は生き物なので何が起こるかは分かりません。毎年1兆ずつ社会保障費が膨れ上がったからと言って、デフォルトになるとは考えにくいでしょうが、政府の地震調査委員会が30年以内の南海トラフの地震発生率を80%としたことや、その他予期できぬ災害が起こる可能性を考えると、今の財政状況だと財政破綻やハイパーインフレが起こる可能性は十分にあると考えることができます。もしもそんなことが起こればこの世界はかなり悲惨なディストピアになるでしょう。その時に一番大きな被害を受けるのは、将来世代に他ならないし、その危険性を度外視して、理想ばかりを語るのは、「優しい」人が、「大衆化」へと歩んで行くことだとも考えられます。

無論コロナのように、世界中で災害が同時発生している状況においては、財政出動で頑張ってもそこまでの相対的な被害は見えないでしょう。しかし、減税やなんだと、色んな理想を押し付け始めると、ただの理想論を語る非現実主義者になってしまいます。結局そうなると、何を言っても薄っぺらくなってしまうのです。

4.0『父性を持って、社会と向き合っていく』

本当に100年後の未来を考えるのなら、私たちは今、何をすべきでしょうか。

それは、マスクを取ってコロナ前のように街中を堂々と歩くことではありません。

今、「生きている」人に対して、「思いやり」を持つことは、あくまでも大切なのではないでしょうか。気休めでも、1%でも感染の確立が下がるなら、マスクくらいしてあげればいいじゃないですか。

つまり、100年後を本当に考えるのであれば、自分たち「優しい」人と、「大衆」を対立構造に持っていったら、ダメなのです。

自分の信じる「ポリシー」を、外の世界を度外視して貫き通すことは、本当にことをいい方向へ進めるために必要なのでしょうか。

政府の政策にモノを言う時は、何かのニュースや記事のタイトルに踊らされるのではなく、現実的に、現在の予算の使用状況と、世界、そして日本の状況を見て、そして考えていくことが必要なのではないでしょうか。

「大衆」としっかりと向き合って、その人たちと一緒に、環境問題も、子どもたちの問題も、社会の問題も、伝えて手を繋いで行けるように、邁進していくことこそが、100年後の未来に繋がるのではないでしょうか。

環境問題に取り組むことにおいても、それをみんなに広めていくことにおいても、より助け合っていけるように温かい社会を創っていくことにおいても、生命で生まれた以上、生命原則の遺伝情報的にも大半が賛成するのが自然なわけで、それに忠実な人たちが、わざわざ「敵」を創る必要もないわけです。

このコロナ渦でも、できることを探し、あえて敵を創らず、自分たちにできることを最大化していくことこそが、未来への希望になるのでは、ないでしょうか。

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