悲しき人間

悲しき人間

自分の意見を主張するということ。

僕は普段から、それが本当にその人のためになると思うことは、言うようにしています。

ブログでも、社会に対しての意見や、人に対しての意見や、いろんなことを書いています。

それでもやっぱりね、時に僕にこう言う人がいます。

「お前はその立場になってないのに、モノを言うな。」

例えば、「教師とはこうあるべきだ」みたいな記事を前に僕は書きました。勿論僕は教師になったことはないです。そんな僕が、「教師とはこうあるべきだ。」と思ったとして、実際の教師の話も完全に無視して、文科省のトップになって、教育制度を思うがままに変えて、強制的に押し付けるのはおかしな話です。やってないのになんなんだ、と言われる理由も分かります。偉そうだなこの野郎、と言われるのも分かります。

だが、それとこれとは全く違います。

僕は「一意見」を言っただけで、それを読むか読まないかもその人の自由だし、読んで学ぶか学ばないかもその人の自由だし、取り入れるか取り入れないかもその人の自由です。決して僕は、文科省のお偉いさんを動かして教育システムを変えようとしているわけでもないし、誰かに強制をしようとしているわけでもない。

それなら聞くが、総理大臣はどうでしょう?

国民が総理大臣のあれこれに文句を言うのは、いいのですか?文句をあれこれ言う人々は皆、総理大臣になどなったこともないし、総理大臣の実情なんて知る由もないです。だがこの国には民主主義というものがありますし、国民はむしろ意見を言うべきであり、そうしないと民主主義は崩れます。ではそんな人々に、「お前は総理大臣になったことないから、ものを言うんじゃない。」と言うのは正しいのでしょうか?

そう、ちゃんちゃらおかしい。

でもそういうことを言うと、大体において、こう言われます。「総理大臣は我々が働いて、出したお金で食ってるんだから、我々には意見を言う権利がある。」と。それならば、公立校の教師もそうですね。「教師も公務員だから、国民の税金で食っている。だから教師にはモノを言える権利がある。」それならば子供もそうだ。「子供も親の金で食ってるんだから、子供は親にモノを言う権利はない。」こんな暴論を言う人間が、世の中には五万といます。

では聞くが、友人が悩みを相談してくれた時、その人は何と言うのでしょう。

「私はあなたの立場になったことはないから、何も言わないわ。」きっとこう言うのでしょう。これ以外にモノを言うのだとしたら、もう一度考え直したほうがいい。そして気付いたほうがいい。君の生き方が矛盾していることに。

「人に意見を言うのは正しいことだ!思ったことは全部言うべきだ!」とか言っているわけではありません。相手を一方的に誹謗中傷することを、バンバン言いまくるべきだ、と言ってるのではありません。そこには勿論思いやりがあってしかるべきだと思います。

それならば、友人に相談されたときに、「ここをこうしたらいいんじゃない?どお?」と助言をするのは、「悪」なのでしょうか?そこに思いやりがないなら、「悪」かもしれない。でもそこに思いやりがあるのならば、それは「悪」なんかではなく、ただの「一意見」なのではないでしょうか。

どう思いますか?

「お前はその立場になったこともないくせに、その人の苦しみを味わったことも、味わおうとしたこともないくせに、モノを言うんじゃねえ。」

これは暴論ではないでしょうか。

こういうことを言う人は、人のさりげない一言に救われたり、ヒントをもらったり、勇気をもらったりしたことが無い人なのでしょうか。

その人のためを思い、一生懸命考えて、言ってくれた助言を、「お前はその人の立場になったことはねえから何も言うな。」と言うのは、とんでもなく悲しいことです。

もし、その人が、「一意見」を言うのではなく、「そんなことで悩んでんのか。じゃあこうしろ。絶対これがいい。」と言って、強制的に考えを押し付けてくるなら、話は別です。

でも、その人のことを一生懸命想い、一生懸命その人の立場になったつもりで、その人の性格や、その人の価値観や、色んなことを考えて、考えて、考えて、勇気を出して伝えようとしてくれた、「一意見」を、

「お前はその立場になったこともなろうとしたこともねえんだから何も言うな。」

と切り捨ててしまうのは、あまりにも悲しいことではないでしょうか。

まさにこれを読んでいるあなたこそ、そんなことを実はしていたりしないでしょうか。

「一意見」を聞いて、それを取り入れるか、取り入れないかは、その人の自由なんですよ。勿論それが間違ってる場合もあります、それなら何が間違ってるのか伝えたり、感謝の気持ちを言うべきですよね。

これができない人間に、向上心もくそもあるもんですか。

人は一人で生きてるんじゃないんでしょう?

親は子供から何も与えられてないんですか?与えてるだけなんですか?

「食わせてるんだから黙れ」こんなことを言う親になりたいですか?人間になりたいですか?「一意見」を聞いてやることも、聞いて考えてやることもできない、そんな人間になりたいですか?人の想いを、「お前は黙れ」と言って、完全否定する、そんな人間になりたいですか?

だから、年下がどうとか、養ってるからどうとか、立場がどうとか、そんなクソみたいなことを気にして、生きてる人間に、誰もついていかないですよ。

こんな分かりやすい勘違いを、ドラマで描かれる典型的な「悪役」を、やっている人は、世の中には実は、数えきれないほどいるし、あなたの身近にも、絶対にいます。そしてそういう人は、口をそろえてこう言います。

「世の中は、そんな甘くない。」

社会に出て、自分の「理想」通りに物事が進まない現実に何度もぶち当たって、苦しみ、やるせなさと理不尽の中で押しつぶされそうになりながら、それでも、誰かを養わなければいけない立場になり、その人たちのために、一生懸命、理不尽を受け入れ、「理想」を極限まで押し殺し、踏みつぶし、圧縮し、生きる。そんな中で、だんだんと、「世の中はそんなに甘くない。」ということを実感し、ある種「諦め」のようなものを感じ、それでも誰かのために、生きるしかない。「諦め」を感じていることを、そんな自分を、「そんなに甘くない世の中を懸命に生きた人間」として認めてやることによって、「理想」を捨てた自分を正当化していく。そして、その人のために、と生きてきたのに、なのに、その人に、自分の「痛いところ」を突かれたり、自分の人生を少しでも否定されたりすると、「お前は、黙れ」という言葉が、思わず口から飛び出してくる。その人は、「諦めるな」と必死に訴えているだけなのに、「諦めるしかねえんだよ!」という心の叫びを、「お前は、私の立場になったことないんだから、黙れ。」という言葉に変化させることによって自分を保とうとする。

これは、誰にでも起こることで、決して他人事ではないと思います。僕がそんな人間になったら、どうか僕に寄り添って、一生懸命思い出させてほしいです。もともと持っていた心を。

これを読んでも、そういう人は、何も感じないと思います。なぜならば、自分がそんな人間だと分かっていないからです。一度そうなってしまったら、本気で思い出させてくれる人が現れない限り、なかなか戻れない。

だから、そういう人間への対処法は二つだと思います。

「無視する」か、「本気で思い出させる」かのどちらか。

そして、こういう人間をたくさん生み出すのが、今の日本社会です。

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