ハチドリの話を広げよう

ハチドリの話を広げよう

南米アンデス地方の話

森が燃えていました

森の生き物たちは われ先にと逃げていきました

でもクリキンディという名のハチドリだけは

いったりきたり

くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは

火の上に落としていきます

動物たちがそれを見て

「そんなことをしていったい何になるんだ」

といって笑います

クリキンディはこう答えました

「私は、私にできることをしているだけ」

ハチドリの話を広げよう

僕はこれまで何度もハチドリのお話をしてきました。

今日はこの話から僕が考える別のストーリーと、メッセージをお話ししようと思います。

ハチドリのクリキンディは、周りの動物が全て逃げても、一匹だけ、燃えてる森に、水を与え続けました。小さな小さなくちばしで、小さな小さなしずくを、運び続けたのです。周りには、だーれも味方はいなくて、みんなクリキンディをバカな奴と思ったかもしれません。それでも、クリキンディは、水を、一人で、運び続けたのです。

さて、ここで一つ、質問です。

はたして、人間が、クリキンディのようになることは可能なのでしょうか。

僕の考えを言います。

ほぼ全ての人間が、不可能なのではないでしょうか。

ハチドリは、ハチドリです。私たちは、人間です。人間のほとんどは、深い感情に依存して生きています。人間は、感情に傷つけられて苦しめられて、そして助けられて生きています。そういう意味で、私たちは、弱く弱く弱い生き物です。この特徴のせいで、人間は、一人で生きれない弱さを、身に付けてしまいました。

人間は、一人で水を運び続けるのは、無理かもしれませんが、僕は、一人じゃなければ、可能だと思っています。

世の中にはクリキンディのようになろうとする者がいます。クリキンディのようであろうとする者がいます。その人間に、一人でも、一人でもその人を信じて、その先に未来があると強く強く信じて、その未来を共に願ってくれる人がいれば、人間はクリキンディのようになれるかもしれないと思います。

或いは、この世の中にもうその人が存在しなかったとしても、そういう人がいたという経験が、支えになり、不可能を可能にするかもしれないと思います。

僕の結論は、人間は、一人では、クリキンディであり続けることはできない、ということです。

世の中のほとんどの人は、

クリキンディのように、望む未来のために、自分にできることを、一生懸命やり続けようとする人、

そして、そういう人を、信じて、支え、共に戦う人、

あとは、何かを助けるために、もしくは自分のために、向き合わず、無関心か、もしくは逃げていく人

この三タイプに分けられると思います。

ここで、質問です。

あなたは、どのタイプの人でありたいですか?

クリキンディのように、一生懸命、望む未来のために、他の人が諦めていても、みーんな無関心でも、自分にできることをして、戦い続けたいですか?

あ、ちなみにこの望む未来というのは、「自分の未来」じゃないですよ?「大きく見た世界」です。この二つの違いというのは、「自分の未来」は対象が自分だけですが、「大きく見た世界」には、自分以外の他者が多く含まれています。「自分の未来」のために頑張る人は、三番目のタイプです。

あなたは、どう生きたいですか?

どういう風に、生きていきますか?

誰か多くの人のために、自分にできることをし続けたいですか?

誰かを信じて、支えて生きていきますか?

それとも、そういう人たちに無関心で生き続けますか?

一度しかない人生を、どう、使いたいですか?

ここに優劣や、価値の大小は全くありません。みんな違ってみんないいのです。それだけは忘れてはいけませんよ。

その上で、自分はどうありたいのか、一生懸命考えていきましょう。

僕は、クリキンディのようでありたいと強く思っています。ただ、僕がクリキンディであるためには、支えが無ければ不可能です。そんな支えが見つかるまでは、きっととてつもなく孤独ですが、この世になんとかい続ければ、いつか見つかるかもしれないと小さな希望を持って、生きていくのです。

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