今日を生きる全ての人へ5

今日を生きる全ての人へ5

手を使う、モノを作る

インド人の有名な環境活動家、クマールさんのお話。クマールさんは、インドの田舎に暮らし、読み書きもできなかった母親こそ、自分にとって最も偉大な先生だったと言います。ある時、お母さんは長い時間かけてできあがったショールを娘にプレゼントしました。娘、つまりクマールさんの姉は大喜びしてこう言いました。「素敵なショールね、お母さん。柔らかくて鮮やかで。みんなんが見るように、壁の目立つところに掛けておくわ。汚すといけないから着ないようにする。何かをこぼしたりしたら大変だし。」それにお母さんはこう答えました。「肩掛けは肩にかけるためのモノ。壁に飾るためじゃなくて、お前に着てもらうためのショールなのだよ。」姉はこう続けました。「お母さんのお裁縫はとてもきれいだけど、一つのモノを作るのに半年や一年、ときにはもっと長い時間がかかるわ。最近は同じことをあっという間にやってしまう性能の良いミシンがあるのよ。私が探してあげようか。」母は「どうして?」と聞き返します。「時間を節約するため」と娘が言うと、母は説教を始めました。「時間が足りなくなるとでもいうの?ねえお前、永遠っていう言葉を聞いたことある?神様は時間を作る時、たっぷりとたくさん作ったのよ。…私にとって、時間は使い果たしてしまうものじゃなくて、いつもやって来るものなのよ。いつだって明日があり、来週があり、来月があり、来年があり、来世さえあるのよ。なぜ急ぐのかしら。」姉は納得いかずこう続けました。「でも便利なものを使って、手間を省いて時間を節約した方がいいんじゃない?そうすればもっとほかのことを、もっとたくさんできるようになるんだから。」と。母はこう答えました。「時間といういくら使ってもなくならないものがあるのに、それではまだ足りないと言って、わざわざ使えばなくなってしまうものを使いたがっているようにしか私には思えないのよ。ミシンは金属から作られていて、世界には限られた量の金属しかないわ。それに金属を得るためには掘り出さなければならない。機械を作るためには工場が必要で、工場を作るには、もっと多くの有限な材料が必要なのよ。掘るということは暴力だし、工場も暴力に満ちているわ。どれだけ多くの生物が殺され、金属を掘るため地下深く潜るような仕事でどれだけ多くの人が苦しまなければならないでしょう。…なぜ自分の便利さのために、彼らを苦しめなければならないの?時間を節約したとしても、余った時間で何をするというの?仕事の喜びは私の宝物みたいなものなのよ。」

待つ、つきそう、待ってもらう

僕のおばあちゃんは、足が悪い。もともと元気なおばあちゃんで、いつもバリバリ働いていたのですが、数年前から足を悪くして、歩くスピードは、だんだんと遅くなっていきました。今では、もう両手を支えてもらわなければ、歩けません。僕はおばあちゃんの手をとって歩くとき、早くいきすぎないように、我慢して我慢して、おばあちゃんのペースに合わせて歩きます。だんだんと慣れてきて、一緒に歩けるようになってきます。そうして、余裕が出てくると、周りの世界に耳をすまし、感覚を研ぎすませたりするようになれます。すると、それまで聞こえなかった小鳥の声が聞こえたり、子供たちの遊ぶ声が聞こえたり、道端を歩くアリに目を向けるようになれるのです。昔行っていた公園で懐かしさを感じたりもします。思えば、数年前まで、おばあちゃんが僕の手を取って、僕のペースに合わせて歩いてくれていました。

僕たちはみんなそうやって、自分より遅い人たちの遅さに合わせて歩いてきたのだし、自分より速い人たちに辛抱強く寄り添ってもらって生きてきたのです。そしてこれからも速さの違うものたちと、なんとか折り合いをつけながら歩き、生きていくのでしょう。

そもそも人生というのはそんなふうに、待ったり待ってもらったり、つきそったりつきそってもらったりしながら、生きていくものなのではないでしょうか。

急がない、がんばらない

日本ほど、人々が互いを急かせ、自分を急かせている社会も珍しいものです。「星の王子さま」のサン・テグジュペリのセリフ。「みんなは特急列車に乗り込むけど、いまではもう、なにを探しているのか、分からなくなってる」。僕たちは自分にも人にも「がんばれ」と言うけれど、なんのために、なにを、どう、がんばるのか、もう誰にも分からなくなっています。親たちは、そして教師たちは、子供たちにどれだけ「急げ」とか「さっさと」とか「早く」とか言ったら気がすむのでしょうか。幼児、老人、障がい者など、独特の遅さを持つ人たちに対して、僕たちはますますいらだちをつのらせ、冷たい態度をとるようになってはいないでしょうか。それどころか僕たちは、自分自身をも待ちきれなくなっているのではないでしょうか。

そして、僕らは地球のペースも待てなくなって、地球温暖化を引き起こしました。生き物にとっても、地球にとっても、生きづらい世の中なのです。

人間ががんばればがんばるほど、他の生き物は迷惑します。自分の「がんばり」が他の人の迷惑になります。それでも、「自分さえよければいい」と思うことは出来ました。昨日までは。だけど、その「がんばり」が実は自分自身をも苦しめ、人生を生きづらいものにしてしまうことが見えてきました。

だからもうがんばるのはやめましょう。

スローライフとは、自分のペースで生きること。自分を待ってあげること。そして、君とともに生きるまわりの人々と、待ったり待ってもらったりする関係を大切にすること。そして、自然界の時間に寄りそうように生きること。

「がんばらないということ」宇宙塵

がんばらないは、楽しい。

がんばらないは、愉快だ。

がんばらないは、自分の時を刻むこと。

がんばらないは、幸せだ。

がんばらないは、身体に良い。

がんばらないは、心にも良い。

がんばらないは、自分を知ること。

がんばらないは、元気だ。

がんばらないは、争わない。

がんばらないは、自然に優しい。

がんばらないは、人を傷つけない。

がんばらないは、ほんとうの「平和」。

がんばらないは、地球を愛し続けること。

がんばらないは、宇宙。

がんばらないは、私だ。

ゆっくりでいいんだよ

南米アンデス地方の小話。

森が燃えていました

森の生き物たちは われ先にと逃げていきました

でもクリキンディという名のハチドリだけは

いったりきたり

くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは

火の上に落としていきます

動物たちがそれを見て

「そんなことをしていったい何になるんだ」

といって笑います

クリキンディはこう答えました

「私は、私にできることをしているだけ」

この短い物語には、たくさんの教えがつまっています。たしかにクリキンディは、小さなからだに似合わぬ大きな勇気を持っているように見えます。それにしても、ほかの動物たちはなぜ、山火事を消そうともしないで逃げ出してしまったのでしょうか。それは彼らが意気地なしで卑怯だからでしょうか。大きくて力持ちのクマは、幼い子クマを守るために避難しただけかもしれません。脚の速いジャガーはうしろ足で火に土をかけることに気付かなかっただけかもしれません。雨を呼ぶことができる“雨ふり鳥”たちは、水で火を消せるということを知らなかっただけかもしれません。

僕たち人間は、すべての生き物の中で最大の力を持つようになりました。残念ながら、その力はしばしば人間同士を傷つけあったり、自然環境を壊したりすることに使われてきました。でも幸いなことに、人間は、問題を問題として自覚することができます。そしてその気になれば、問題を解決する方法をあみだし、計画を立て、それを行動にうつすこともできます。みんなで力を合わせて水のしずくをたくさん集めて、燃えている森の火を消すだけの能力を持っているのです。

環境破壊、水不足、地球温暖化、戦争、飢餓、貧困、原発の危険…。僕たちの生きている世界は深刻な問題でいっぱいです。しかし僕には、それらの重大な問題にも増して大きな問題があるという気がしてなりません。それは、「これらの問題に対して、自分にできることなんか何もない」と僕たちが諦めを感じていることです。もしも僕たちのうちに広がりつつあるこの無力感を吹き払うことができたなら、つまり、「いや、自分にもできることがあるんだ」と思えたなら、その瞬間、僕たちの問題の半分くらいはもうすでに解決しているのではないでしょうか。

では、問題のあと半分を解決するために僕たちにできることは何か。もちろん、僕には「僕にできること」しかできません。クリキンディが水のしずくを一滴ずつ落とすように、僕たちは、「自分にもできることがある」という小さな希望の芽を、周囲からの励ましを栄養としながら、自分のうちに育てていくしかないのです。それが実を結ぶにはきっと長い時間がかかります。

スローなんだ。

近道はない。

しかしそれでもいい。

あせっちゃいけない。

ゆっくりでいいんだよ。

愛はゆっくり、ゆっくりでいい。

ゆっくりでいいんだよ。

何かを感じた方は、是非、『「ゆっくり」でいいんだよ』(ちくまプリマー新書)(辻信一著)という本を買ってください。もっともっと、たくさんのことを感じることができます。

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