今日を生きる全ての人へ4

今日を生きる全ての人へ4

人間は遊ぶために生まれた

最近日本では、外で遊んでいる子供たちの姿をあまり見かけません。昔はどこにでもあったような外で遊ぶ子供たちのいる風景が見当たりません。外国から帰ってくるとそれをよく感じます。

平安時代の『梁塵秘抄』という歌謡集にこんな歌があります。

遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子供の声聞けば 我が身さへこそ動がゆれ

「人間って、遊ぶために生まれてきたんじゃないかな。遊んでいる子供たちの声を聞いているだけで、大人である私たちもワクワク、ドキドキしてしまうよ」。これが800年前の詩です。でも今では、時がたつのも忘れて楽しそうに遊ぶ子供たちの声を聞くことができなくなってきました。第一、僕たち大人は昔の大人たちのように、遊ぶ子供の声を聞いてワクワク、ドキドキするようなそんな「魂」すらも失ってしまったのではないでしょうか。

「人間って遊ぶために生まれてきたんじゃないかな」と800年前の人たちは考えていたのかもしれませんね。あるいはその考え方って、今私たちに欠けているものを思い出させてくれる、大事なヒントなのかもしれません。

「便利」の代償

僕たちは「便利」という言葉を聞いて、何を思い出すでしょう?コンビニ、高速道路、携帯電話、自動販売機、コンピューター、全自動の炊飯器や洗濯機、、、便利はまさに現代社会のキーワードです。便利の素晴らしさに疑いをはさむ人は変わり者と呼ばれ、酷い時には仲間外れにされてしまいます。便利のためには相当の犠牲が伴っても「便利教」の信者たちは平気です。自動車という便利のために、毎年世界で90万人もの人が交通事故で死のうとも、もっと多くの人が空気汚染で病死しようとも、自動車を走らせるために石油をめぐる戦争が起きようとも、道路を作るために自然が破壊されようとも、ほとんどの人が気になりません。公害も環境破壊も、「便利教」が引き起こした大きな「不便」だということ。ぼくたち人間は便利を手に入れるために、他人に迷惑をかけるばかりか、自分自身が生きていくための土台さえ平気で掘り崩してきたのだということ。それだけではない。便利はぼくたち自身の能力を低下させたり、心や体の健康に害を与えたり、生きる楽しさをとりあげたりすることもあるのです。

だから僕たちは、やっぱり、「楽しいこと」を「楽なこと」から区別しておかなければいけません。

デコボコの温もり

アニメ映画の宮崎駿監督がこんなことを言っていたらしいです。「元気のない今の幼い子供たちに元気を出してもらうためには、まず、保育園や幼稚園の庭をデコボコにするのがいい」と。実際にそうした保育園があって、子供が確かに生き生きと元気に駆け回っているといいます。これは子供だけではありません。僕たちは、デコボコという楽しさを取り上げられてしまいました。デコボコは確かに不便だし、効率的ではありません。便利さと効率性ばかりを追い求める経済中心の社会は、デコボコが好きではないです。日本は25倍もの広さを持つアメリカよりも多くのコンクリートを使って、世界一のペースで自然のデコボコを人工的で平らな平面に変えてきました。もちろんそれは経済成長の原動力となったのでうが、他方では、いたるところで自然環境と地域の文化を破壊して、楽しくない世の中をつくることにもなりました。

「デコボコ」という楽しさは、実はとてもかけがえのないものだったのです。そして、この世界に必要な楽しさなのではないでしょうか。

こころカテゴリの最新記事