手放せる生き方

手放せる生き方

今の日本では、

浪費を繰り返し続ける『贅沢病』、

自らの利益を一番に考える『利己主義病』、

などなどが、人々に蔓延していて、

かなり、寂しくて虚しい病気とでも言えてしまうかのような現実があります。

そして、僕もまた、きっと贅沢病、利己主義病にかかっている一人であり、そんな自分にならないように、日々生きています。

ただ、多くの人が、それに気が付いていません。

先日、イモトアヤコさんの記事が出ていました。

そこで、イモトさんが言っていた、言葉をご紹介します

「ミャンマーの小さな村でロケをした時に、合間に地元の子どもたちと遊ぶうち、2人の男の子と仲よくなったことがあります。ロケが終わって帰る時に、彼らはサドルもブレーキもない自転車で2人乗りの立ちこぎをして、追っかけてきてくれたんですよ。ブレーキがないから岩にぶつかって止まって、転んで笑って。それで、ミャンマーのお菓子をくれたんですね。持ってるお菓子を全部。小学生ぐらいで一番食べたい時期だろうに、いいのかなぁって思いつつ、でもせっかくだからいただきました。お返しにこっちも日本から持ってきたお菓子をあげたんですが、切ない感じがしました。

たぶんあの子たちは、もらったものも村のみんなで分けるということで生きてきた。

一方、私たちは所有することへの安心感で生きている。

すべてを捧げられる心を持ってる子たちが豊かで幸せなんだろうなあ、

ってすごく思いました。ただ、お金で買える幸せとお金で買えない幸せ、どっちがいいかは正直、私はわからない。お金で買える幸せをも知ったうえで、どっちを取るか自分で選択できるのが一番いいなあとは思います」

「すべてを捧げられる心を持ってる」

これって、すごく美しいことだと、美しい心だと、思いませんか?

自分に置き換えて、考えてみてください。

貴方は今、自分のもの、例えば、服、カバン、靴、、、などの大事なもの、はたまた、家や車、それらを、ぽいっと、捨てることはできますか?

自分が一生懸命生きてきて、その成果として、手に入れたモノ、金、果たしてここに、何か価値があるのでしょうか。

私たちは、良いものを持つことで、優越感を感じたり、所有することに、何か、価値を感じていないでしょうか。

本当に豊かな心は、そんな心なのでしょうか。

僕は、違うと思います。

どんなに一生懸命頑張って手に入れたモノでも、どんなに貴重性のあるものでも、どんなに高価なものでも、ぽいっと、捨てれてしまう、それって、美しい心に、思いませんか?

本当に価値があるのは、それを得るために頑張ったことではないでしょうか。本当に価値があるのは、それを、人にあげ、その人の、喜ぶ感情や、そういった人と人の繋がりなのではないでしょうか。

本当に価値があるものを、心に持っている人は、簡単にモノなんて捨てられるでしょう。

私たちは、所有することへの安心感で生きています。

それって、あまりにも悲しくありませんか。

僕は、手放せる人間に、なりたい。

あなたは、どう生きたいですか?

さっきとても素敵なものを拾って僕は喜んでいた

ふと気が付いて横に目をやると

誰かがいるのに気付いた

その人はさっき僕が拾った素敵なものを

今の僕以上に

必要としている人だという事が分かった

惜しいような気もしたけど

僕はそれをあげる事にした

きっとまたこの先探していれば

もっと素敵なものが見つかるだろう

その人は何度もありがとうと嬉しそうに僕に笑ってくれた

その後にもまた僕はとても素敵なものを拾った

ふと気が付いて横に目をやると

また誰かがいるのに気付いた

その人もさっき僕が拾った素敵なものを

今の僕以上に

必要としている人だという事が分かった

惜しいような気もしたけど

またそれをあげる事にした

きっとまたこの先探していれば

もっと素敵なものが見つかるだろう

なによりも僕を見て嬉しそうに

笑う顔が見れて嬉しかった

結局僕はそんな事を何度も繰り返し

最後には何も見つけられないまま

ここまで来た道を振り返ってみたら

僕のあげたものでたくさんの人が幸せそうに笑っていて

それを見た時の気持ちが

僕の探していたものだとわかった

今までで一番素敵なものを

僕はとうとう拾う事が出来た

槇原敬之『僕が一番欲しかったもの』より

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