苦しみで癒す優しさも

苦しみで癒す優しさも

今日、全国のたくさんの学校が再開し、久々に子供たちが学校に行く姿が見られました。

複雑を複雑のまま単純に

ここで以前お話した、僕が家庭教師で接している小5の男の子の話をしようと思います。

彼は、今日学校に行けたかというと、無理でした。

学校が再開して、楽しそうに学校に行く子供たちが、まるで全てかのように、僕らは感じてしまいます。

でも、その子は、間違いなく、今日とても落ち込んでいました。

学校に行かなきゃいけないことは分かっているし、行けなかった自分に多少なりとも後ろめたさを感じるし、色んな気持ちが混ざって、苦しんでいます。

そういう子が、この国には、たくさんいます。

コロナで親が職を失って、お腹を空かせている子だっているし、学校に行きたくなくて苦しんでいる子もいます。

メディアがある学校の様子を取り上げていて、子供たちが椅子に座って、校長先生の話をモニター越しにジーっと聞いて、聞こえるはずもないのに「はい!」と返事させられている光景を見て、僕は鳥肌が立ちました。

その校長が、インタビューで「早く通常通りに戻るように願っています。」と言ってるのを聞いても、また鳥肌が立ちました。

「通常」を、いいものだと思い込んでいるその校長の自己暗示感とお花畑感が、とても気持ち悪かったのです。

その子は、今日もこう言っていました。

「なんで生きなきゃいけないんだ。」

僕らは、10歳の子の、この一言に、どれほど耳を傾けることができるでしょうか。

日本中に、彼のような子が、クラスに一人や二人確実にいるこの世の中の状態に、あなたは一体どんなことを想うでしょうか。

「通常」に戻る前に、一度、立ち止まって、その「通常」を、虚心坦懐に問い直す必要があると僕は思います。

僕は、彼に、何も言えなかったし、彼の苦しみに共感することしかできなかった。

彼の苦しんでる原因の、大人が言う「しょうもないこと」も、「弱いこと」も、僕にはキラキラ光る人間らしさにしか、感じられなかった。

彼に、何も、声をかけてやれない僕がいた。

本質的なエールを探せば探すほど、そこには何もなかった。

僕は、彼の苦しみを、ひたすら想うことしかできなかった。

でもね、

僕は、この瞬間、僕自身の苦しみを、完全に忘れ去っていた。

僕には僕の悩み事があり、こう見えて日々苦しみの中で生きている。

彼は、僕にそんな悲しくも優しい瞬間を与えてくれた。

彼の作ったその瞬間は、僕にとって、かけがえのないものだった。

でも、それと同時に、人の苦しみを人の苦しみでしか隠せないこの社会に、深く絶望もした。

あるいはこれを読んでるあなたが、ここで書かれている「苦しみ」を、鼻で笑ったり、他人事のように感じるなら、あなたは、絶対にこの「優しい瞬間」を作り出すことはできない。

「君たちは、どう生きるか」の本にでてくるおじさんのように、僕は彼に本質的な何かを、どうやったら、伝えられるのでしょうか。僕の子どもなら楽勝だけど、彼には親がいて、僕は他人です。

10歳の彼も苦しんでいるが、これを読んでいるあなたも、苦しんでいることでしょう。

彼も、あなたも、苦しめば苦しむほど、優しさを知るんでしょう。

その苦しみが、かけがえのないものであることを、前向きに伝え、苦しみを消すのではなく、日々苦しみながら生きれるように、抱きしめてやらなきゃいけない、ただただ、心の奥に寄り添うしかない。

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